2019/02/28

昨日の市場、今日の市場 20190228


昨日の市場は、、、
1、債権が売られ金利は上昇。
2、為替は動かず。
3、株式も結果的には動かず。
4、NY指数は売られた後、盛り返す。

今日の市場は、、、
1、為替はドル安傾向。
2、欧州、NY先物は動かず。
3、米朝首脳会談は大きな成果は無い模様。
つまり現状維持。

大国、ロシア、中国、日本、アメリカに
囲まれ翻弄される朝鮮半島。
大国の意向が反映され、
38度線で分断され早70年。
ベトナムやドイツと違い、
自らの民族で統一を成し遂げようという気概無し。
このまま惰性で、大国の緩衝地として
微妙な位置づけで固定されそう。。
まあどちらにせよ触らぬ神に祟り無し。
反日的な思想があるので、何をしようが日本は批判の的。
言い方を変えれば内部の不満の捌け口として、
時の政権にいい様に利用される愚民と、その被害者日本。


一方のヨーロッパでは、
合理的で自由主義のイギリスが欧州連合の離脱を模索。
もちろん、経済的にも政治的にも正しい選択だが、
経済的な損失が大きいドイツが真っ向から反対。
もちろんドイツ経済の損失分は、英国の利益。
取り敢えずドイツは虚勢をはり、
欧州連合という拡声器を通して英国を脅す。
しかしその威勢も、イギリスには見透かされている模様。
で北アイルランドを連合内に留め、人質にしたいが、
イギリスがそれを許す訳が無い。。
なし崩し的に北アイルランドを失う可能性が高い選択だと、
イギリスからの理解は得られない。
話は平行線のまま時間だけが過ぎていく。

アメリカ10年物国債の利回りがなかなか上がらない。
つまり債権は未だ買われている模様。
方や株式は高値水準。
普通リスクオンなら、債権は売られ金利は上昇、
そして株式も上昇するが、今回は何か違う。
投資家の資金を燃焼して、株式がここまで上がったと
見るのが妥当で、余力が無くなれば後は落ちるだけ。。

もし上昇相場なら債権は売られなくてはならない。
債権の資金が株式に回るのだから。。
ここから、債権は売られるのだろうか?
でなければ、今回の上昇相場の燃料が切れるのも時間の問題。


2019/02/27

昨日の市場、今日の市場 20190227


昨日の市場は、、、
1、債権が買われ金利は低下。
2、為替は若干のドル安傾向。
3、NY指数は動かず。

今日の市場は、、、
1、為替は明確な方向感は無し。
2、欧州、NY先物は下落。

今日も2800近辺での揉み合いか?
月曜日に2800を超えてきたが、
引けに掛けて割り込む。
やはり直近の上値だった2800の壁は厚い。
高値を超えるには、この壁を崩す必要が。。
終値で2800を超えて来るようなら、
売り方の損切りが入り、上に伸びそう。
逆に20日移動平均線の2740を、
実線で割り込めば、暫くは重そう。

どちらか一方に抜けるまでは、
方向感無しで動かなそう。
ただし、金利を考えれば、
上に抜けても、上げ幅は知れているし、
下に抜けても、直近の年末下げ相場の、
全値戻しが意識されるため、下げ渋りそう。
やはり今年は動いたら駄目かな?

2019/02/25

KHC雑感、昨日の市場、今日の市場 20190225


昨日の市場は、、、
1、債権は買われ、金利は下落。
2、為替はまちまち。
3、株式はNY、欧州共に上昇。
4、食品製造が下げる。

今日の市場は、、、
1、為替は若干のドル安。
2、欧州、NY先物は上昇。
3、これと言った材料無し。

週末のNYはKHCの決算で食品製造が荒れた模様。
のれんの減損処理と減配を発表したKHC。
そしてKHCからの買収が噂されたCPBの下落が大きい。
K、GIS、HSY、SJMなど同じ産業が幅広く売られた模様。
しかし、PEPやHRLは買われる。
指数が上がっている時に弱いということは、
指数が下げれば波が増幅され、さらに下げる確率も。

ちなみに成長エンジンをM&Aに頼れば、
こういった事はよく起こる。
特に、インフレや利上げをしてる時は。
インフレを製品価格に転嫁するには時間が掛かるが、
上昇傾向にある金利の支払いは待ってはくれない。
で将来の利益や負債を割り引き現在価値(DCF、
ディスカウンテッドキャッシュフロー)
DCFで計算した場合、事業価値は大幅に悪化、
そして、負債の価値は増大という悪循環に。
のれん代を償却しないアメリカ式会計だと、
こういった局面で減損処理に迫られると。
ただし、ヨーロッパ、日本式会計はのれん代を償却していく。
今回はKHCだったが、他もそのうち追随しそう。


参考
こういった局面、未来からやって来た男
BUDの減配、シガレット スリー シスターズ、MO、PM、BTI  

ちなみにのれんとはグッドウィルのこと。
帳簿上の資産価格である簿価と
実際にプレミアムを付けて買収した代金の差額。
帳簿には含まれない、ブランド価値とも言われる。
ブランドの収益が落ちた場合、
もちろんブランド価値も落ちる。

あっしは動くかと言われればまだ動かない。
1、バリュエーションの魅力が薄い。
タバコ関連の方が未だにに魅力的。
2、指数が高値で推移、割高感が漂う。
指数が売られれば、基本全部落ちる。
安い円で高いドル建て資産は買えまへん。。
3、ただし、食品関連は好きなのでその内買い付け。
最終的に株式はインフレに打ち勝つ資産なのだから。。。
もちろん個別株で別個にセクター買い。
こういった不測の事態に備えるための分散。
不測の事態を避けるよりも、慣れるべし。
「災害は、危機が脆弱性と出会うことで起こる」
脆弱性は分散でもちろん潰せる。

ちなみに下落の要因は、のれんの減損処理だが、
ネット上では、間違った伝言ゲームが広がっている模様。
「営業CFマージンの悪化」と言った。
「また営業CFマージンが悪化している株は買うべきではない」
と言った、後出しじゃんけんの意見が見られるが、
そもそも未来は誰にも分からない。
営利が悪化したのは、M&Aに基づく、
拠点の統廃合やリストラ費用が嵩んだため。
あと税制改革、トランプ減税のごたごた。


論点のすり替えにはご注意を。
ネットは嘘を見抜けないのならば(以下ry)。。。
物事の本質を見極めるべし。
今回は別件で、のれんの減損処理。
ちなみにハインツのケチャップ事業は安泰。
減損したのは、クラフトブランドやオスカーメイヤーブランドの、
加工肉やチーズの製造関連で、154億ドルの減損。
製造コストが収益を圧迫、
原材料の高沸と人件費がどうたらこうたら。。。

ざっくり1ドル100円で計算すると、
売り上げはほぼ横ばいの2,6兆円。
減損処理は1,5兆円で最終損失は1兆円。
2017年に大幅な最終利益を計上しているので、
利益の先食いをしていただけとも言えるが。。。
もっとフラットにできないの?
ケチャッピーの需要なんて一定でしょ?
そしてこのリストラ。バフェットの鬼畜っぷり。
その内最終的に、他の食品製造と同程度の利益水準、
FCFやROA、ROEに落ち着きそう。


もちろん、あっしはKHCをどうせ買う積もりだったし、
どうせ買うのであれば、安いにこしたことは無いので、
いつでも動ける準備はして置く。
煽りをくらったCPBも買収期待があるので買いたい。
CPBもGISもKHCの製品も相変わらずスーパーの商品棚で健在。
最近はオーガニックやフェアトレード商品、PBがシェアを伸ばすが、
こっちに投資する方が、一過性で終わりそうで怖い。。。
逆に大手食品製造が、これらの製品を手がける可能性も。。

ちなみに買い増しするなら、証券講座を変えるべし。
KHCの含み損は、損益通算の相殺玉として、
大事に年末まで保管するべし。この含み損は貴重やで。。
間違ってもナンピンなんてした日にゃ、玉にキズが付く。
ナンピンによる平均取得単価の下げなんて、詐欺もいいとこ。
証券講座は3+NISAなり。

2019/02/20

昨日の市場、今日の市場 20190220




昨日の市場は、、、
1、上昇相場の継続。
2、ゴールドが買われる。
3、債権が買われ、金利は低下。
4、為替はヨーロッパ時間ではドル高、
NY時間から逆流、ドル安へ。
安全資産のゴールドや債権に資金が流れてきている模様。
しかし株式にも資金が流れている。
もともと相反する資産なので、この局面は長くは続かない。
どちらかが上がれば、一方は下げる。
さて、綱引きで勝つのはどちらか?

今日の市場、、、
1、為替は若干のドル高。
2、欧州、NY先物は動かず。
3、ゴールドは堅調。

ゴールド、金鉱株ETFの週足チャートの形がすばらしい。
チャート的にはまだまだ上がりそう。
まあ一寸先は闇なんで、ちょっとしたきっかけで、
期待が絶望に変わるんだが。
今年は動いたら負けかな?
FRBの利上げも不透明になってまいりました。
ブレグジット、米中貿易戦争も見通しは立たず。

19年第一四半期の米国GDPと企業決算に期待は薄い。
どちらも、トランプ減税の金メッキが剥がれ落ちそう。
18年は対17年比で堅調なのは当たり前。
18年の業績やGDPは、減税の下駄を履かされていた。
言わば背伸びをした、作られた数字。
しかし19年が、対18年比で
堅調でいられる可能性があるのだろうか?

2019/02/19

読者サービス、NY市場はどこまで上がるのか?




占い師が本気で占う。。

もうね、「予想するのは無駄だ」とか、
「未来は絶対分からない」とか、
「テクニカルは気休め」とか聞き飽きたんすよ。
どんな予想をしようが、からすの勝手。

永遠に上がり続ける相場が無いならば、
この上昇局面もその内終わる。
まあ未来を見渡せる水晶なんて持ってないんで、
外れるだろうし、万が一当たりを引いても、
そこにあるのは、偶然という一言のみ。

以下、テクニカル狂教祖の考え。
ちなみに、SP500は2800の節目をブレイクしそう。
最近の上昇トレンドは強いし、
基本、株式は順張りが正しい。
売り方の、踏み上げ買戻しが、
もう少し入らなければ、反転しなさそう。
ただし、突発的なニュースは予想不可能のため、
これ次第ではどちらにも動きそう。
そもそも見通しなんて、ちょっとしたきっかけで
180度変わるため、「現時点で」という補足が付く。



もちろんいつ下落に転じるかは、分からない。
ただ売られやすい、テクニカル的なポイントと
言う物がある訳で。。。
もちろんそれを利用した騙しもあるし、
テクニカル上の節目で反転するか、
そこを上抜けて、ブレイクするかは、
確立で言えば半々なため、
模範解答を示すなら、抜けた方へ張れば良い。。。
SP500週足チャート

1、ヘッド&ショルダー(三尊)の2850は意識されやすい。
この形で反転する素振りがあれば、大変よろしくない。
ファンドも機関も悪い大人もAIも、みんな追随しそう。
そして、慌てた投資家の利益確定や損切りが下落に拍車を。
2、ダブルトップ、トリプルトップの形成。
そして心理的節目である2900。この形もよろしくない。
3、トップラインであり、心理的節目の3000付近。

2800を超えてくれば、売り方の損切りが
かなり入り、一気に上昇しそう。
で、どのへんでこの売り方の買戻しが収まるかと言えば、
もちろん売り方全員がもれなく焼き尽くされた時。
売り方なんて、全員ストップロス入れているから、
どこにそれを置くかと考えれば、
もちろん上記の1、2、3になる訳で。。。
しかし、この3000を実線で超えてくれば、
しばらくは上昇しそう。つまり天井をブレイク。

買い方なら、その内時間が傷を癒してくれるだろうが、
売り方は時間が傷口を広げる。
この高金利と、FRBの利上げ停止が意識される局面。
売り方も結構多そう。売り方こそが上昇相場の燃料。
安易に下落に賭けるべからず。
そして、ここらへんからの飛び付きにはご注意を。

昨日の市場、今日の市場 20190219




昨日の市場は、、、
1、先週末は、米中貿易戦争の進展でリスクオン。
2、株式は総じて堅調。
3、債権は若干売られ、利回りは上昇。
4、為替は迷走。
5、ゴールドが買われる。

今日の市場は、、、
1、為替はドル高傾向。
2、欧州から資金が逃げている模様。
3、欧州、NY先物の株価指数は若干の下落。
4、ゴールドが相変わらず堅調。

世界中の投資家は、今後何か不幸なことが
起こるのを見越してゴールドを買っているんですよ。
もちろん起こる、起こらないは分からないが。。。
そしてどう見てもヨーロッパから資金が逃げてる。。
。。。
。。。

2019/02/15

難波のあきんど、仮想通貨NEMを語る




仮想通貨は未来の通貨やで。その内、銀行間の決済も日常の決済も国外送金も、安全に迅速にできるようになりまっせ。ただしそれはビットコインでもなく、NEM でもなく、
まだ生まれてない未来のクリプトコインでっせ。今の仮想通貨は、発行体が丸儲けの、ただのねずみ講。みんなもうすうす判ってんじゃねえの?

お金に価値は無いんやで。ただの紙やで。コピー用紙。日本円もNEMもチューリップも本質は同じで、みんなが価値があると思うから、価値が生まれるんやで。NEMも日本円も所詮コンピューターに書かれた数字の羅列や。違いはその数字をみなが価値があると思うか無いかやで?もしNEMに価値があるなら190円で買ったNEMは190円やで。現実はちゃうで。みんながNEMに2万の価値があると思えば2万やし、逆に10円の価値しか無いと思えば、10円やし。仮想通貨に価値が本当にあると思えば買うたらええ。
お金に価値は無くても、時間には価値があるんやで。また時間の価値をお金に与えることもできるんや。そう金利やで。投資とはお金で資産を買う事ではなく、時間で、未来の時間を買うことやで?

これを書いたのは2018年11月、1NEM=10円でざっくり計算
NEMの規模はビットコインの100分の1、時価総額1000億円。突発的に大きく上がっても、出来高は1億NEM、約10億円分。ちなみにUSDでの出来高は10万NEM、約100万円分。NEMが他の通貨と比較して特異なのは、USDでの出来高があまりに低いこと、約0,1%。ちなみに、ビットコインの場合約40%はUSDでの取引。他の仮想通貨も総じて30%から50%。
以下のことを踏まえてNEMを調べてみた結果、
検索結果の多いワードは、、、
1、NEM、チャート、取引所
2、NEM、今後、将来性

1については、ほとんどのサイトがアフィサイトのおこずかい目的。NEMのことなんかどうでもええで?クリックしなはれ?まったくもって内容無し。
2については、NEMを保有する気はある信者。とりあえずよいしょ。以下2について詳しく記述するで。

結論から言うとパクリ技術を前面に押し出したゴミコインでっせ。検索順位20番ぐらいまで見たんやで。そしたら、内容がまったく一緒の押しも押されぬ、コピーペーストのゴミサイト。誰一人自分の頭で考えてねえ。ワロた。思考停止のエポケーサイト。(エポケーは2年後くらいに流行るで)。。検索順位上位のサイトを見て、自分の言葉で言い換えただけやで。そもそもこいつら全員、自分で言うとりまっせ、技術を寄せ集めたガラパゴスのパクリコインで、目新しさは無い、ちょっといじくっただけやて。
1、ビットコインのブロックチェーン技術を参考にするで。
2、イーサリアムのスマートコントラクト機能を借りまっせ。
3、このままじゃヤバイし価値がないんで、そや、マルクスや。




そりゃ、アメリカ人はパクリには食いつかず、本家の方に流れるわな。こんなパクリじゃなくて、ビットコインやイーサリアムに。で、日本人はZAIFが一枚咬んでいるもんだから、必死になって売り込まれ、10番煎じにも関わらず「トップです。」そのまま間違った伝言ゲームを正確に伝える。日本人の国民性を如実に表した、右に倣えでっせ。また運営がシンガポールにあり、同じ東洋人とし、ZAIFやテックビューロと親和性があるんやろな。
中華もパクリで発展したさかい。

運営側もこのままじゃ価値無いの判っとるんで、何とか価値持たせようと必死になって、マルクスの資本論を借用。つまり、みんなが使うことで価値を持たせまっせ。そしてPoI(プルーフ・オブ・インポータンス)重要度に辿り着く。使うた人ほど偉いんやで。日本円にも、チューリップにもNEMにも価値が無いといったのは、あっしではなく、カールマルクスでっせ。貨幣の媒介価値を利用して価値を待たせようとしてるんでっせ。

自分でパソコンに数字を打って、それを信者に売りつける簡単なビジネスモデルです。自分達はスーパーノードの特権階級やさかい、初めにパソコンに打った数字から、自分に少しずつ振り込むだけです。信者?知らん。そや、重要度に応じて、少しおこぼれをあげようかな?重要度に価値を感じる、騙される信者もいるんじゃね?まあ利率にして、2~3%やけど。あっしは特権階級やさかい、とっとと換金して3~4%の米国債買うたるで。ちなみにマイニングもハーベストも、既にコインを保有している者から見れば希釈化していることに変わりない。

しまいには、時価にして、580億円盗まれる始末。通帳と印鑑を一緒に仕舞う糞仕様にも関わらず、シラを切る。システムには問題ありまへん。風評被害です。パソコンが乗っ取られました。まあビットコインの、本人ですらアクセス出来ない堅牢性も大概だが。
ちなみにウィキぺディアの記事では、NEM流出について触れられていない模様。あれだけの騒ぎを起こしておいて、ウィキに載ってないのには、悪意が感じる。責任をすべてコインチェックに丸投げ。

そして最近、仮想通貨バブルが弾け、運営側はいくらNEMを売っても運営費が賄えず、自らの売りも相まって、NEMは下落の一途。取引所も取引金額から数%の手数料を取っていたため、取引数の低迷も相まって無事死亡。
両者の利害関係が一致。 ←今ここ
カタパルトやコインチェックの再開で下支えを試みる。

以下総括
1、これは酷い
2、パクリガラパゴスの糞コイン。
3、馬鹿の度合いを測る、アホ指数コイン
それでも、アメリカ人様が買うてくれたら上がるで?まあ普通のアメリカ人なら、今の局面なら米国債かな。。。





ここからは、
NEMを盗んだハッカーと、その手口をあきんどがプロファイリング。
1、まずは前段階として取引所のリストアップと取引所関係者にコンタクトを取る。取引所の規模の違いは、もちろん金庫の大小になるわけで。。また数打ちゃ当たる戦法の場合、関係者にアクセスできる確立が高まる。だって取引所が大きければ大きい程、そこで働いている人数は多くなるのだから。もしくは関係者を買収することさえ可能。ひょっとしたらコインチェック内にハッカー側の人間がいるんじゃね?もしくはNEM財団の方に。。
で取引所は自社が保有する金庫(ウォレット)のコインを参加者に取引させ、そこで手数料を取ると。仮想通貨が現実世界で商品やサービスと交換できない以上、参加者は出口戦略を考える上で、最終的に現実通貨に変えなければ身動きが取れないので、取引所はコインの流出入が起きないまま、確実に現金収入として現実通貨を受け取り、金庫のコインはそのまま残ることに。。実体の無い、何の効用も持たない二進法の電気のオンオフで書かれたビット(数字の羅列)を回転売買させて中間手数料を盗ると。

2、ハッカー側は出口戦略を予め用意。単純に考えて売却先無しで大量のコインを盗む訳がないだろう。高級絵画然り。常識的に考えて盗まれた有名絵画を買いたいなどと思う奇特な人は居ない。買い手不在で電子ゴミを盗んでも、売却出来なければ、足が付くのも時間の問題。また早く処分しなければ、ロールバックで取引が無効化される可能性も。つまり、盗んで直に売却できなければ、コインの盗難は難しい。もちろんロールバックする前提として、盗難者がコインを継続保有していることになるが、処分してしまえば、ロールバックする意味がないし、盗まれたコインを掴まされた、ババを引いてしまった投資家がロールバックされ、コインを失うことになってしまう。夜盗んで、朝金庫のコインが無く、通報されてしまえば、ゲームオーバー。例え通報されなくても、盗まれた事実を発表すれば、NEMの価値が大幅に落ちるのは予測が尽く訳で。。多分ハッカー側は長くても5~6時間で処分したことだろう。そりゃ市場より20%割安で売りに出されれば、裁定取引すればそれだけで利益になる。盗まれたNEMがニュースになる前に、裁定取引するために買い向かった投資家も多いだろう。またハッカー側だって、コインチェックがNEMの流出に気が付くことくらい、容易に想像している。きっと複数の取引所に口座を作り、かなりの金額を空売りして、価格の下落に対してリスクヘッジしていたことだろう。盗んだNEMを換金する過程でNEMが下落するのも明白な訳で。。。これなら資金洗浄の複雑な道もある程度回避できる。
ただ実際には、時間的猶予が2~3日あったかも。だってコインチェックみたいに、コイン盗まれる、どんくさい奴がすぐに外からの攻撃で盗まれたなんて気付く訳がない。そもそも、ネットラインから切り離したり、10億ごとに口座を変え分散などとしとけば、一度に全てのNEMを失うこともなかった。危機管理に問題がありすぎ。多分、自社の他のウォレットに移転したか、内部の人間に盗まれたか、はたまたシステムエラーか、そもそもコンピュータの故障か?などと右往左往している光景が目に浮かぶ。事実、海外から不正アクセスを受けた可能性があるのは事件の2~3日前、そしてコインが実際に流出したのが26日未明、それが発覚したのが26日正午ごろ、報道があったのが26日深夜となる。
迅速にコインを処分でき、匿名性が高く政府などの干渉を受けないとなれば出口は一つしかないだろう。そうバーチャルブラックマーケットのダークネット。なぜビットコインがここまで成功したかと言えば、ダークネットで通貨としての交換価値を手に入れたからだろう。ダークネットは違法薬物や武器の売買に使われる、匿名のマーケット。匿名なのに多額の資金が銀行口座でやり取りされればすぐに足が付く。かといって現金は怖い、直接顔を合わせたくない犯罪者は多いし、そもそも囮捜査の可能性すらも。。匿名で資金が行きかうビットコインとの親和性は高いだろう。また匿名だからこそ、マネーロンダリングするには、ハッカー側の最適解となったことだろう。

3、ここからがハッカー側の腕の見せ所。シュレッダー、シュレッダリング、シャッフル、シャッフリング。まずはコインチェックの金庫を鍵で開け、自分の口座に移すとこまでは想像できるだろう。その後仲間内(多分5人から15人くらい)で一人10個(それ以上の可能性も)くらいのウォレットを使ってNEM資金を行き来させ分散につぐ分散で足跡を消す。こうしてNEMのロールバックを無効にしておく。シュレッダーで裁断に次ぐ裁断でズタズタにすると同時に闇サイトで換金していく。まずは、他の仮想通貨をなどを買い捲り、買い捲った他の仮想通貨でもって、さらに他の仮想通貨を買うなど、ここでも足跡を消しながら前進。最終的に資金の行き着く先は、ビットコインやイーサリアムなどある程度、流動性、規模、交換価値があるところに落ち着いたことだろう。しかしここまでは、まだ銀行口座などには入れない。当たり前だが個人情報と結びついた銀行口座ではすぐに足が付く。そりゃ個人の口座の資産残高が急に10億、20億になりゃばれるやろ?またダークネットで売却したコインの、現金の受け取りに銀行口座を指定した場合、不特定多数からの入金が多く、規模が大きければすぐに怪しまれるだろう。ダークネットでのシャッフルでは、適法、違法に関わらず現物資産をも交えながら交換されていったことだろう。NEM→ビットコイン→盗難銃→現金+ビットコインといったように。もちろんシャッフルするだけでなく、物品の購入にも。例えばビットコインが使えるネット通販などで直接使用など。。
ただ最終的な出口戦略としては、マネーロンダリングでNEMをドルや円で通常に使えるようにすることだろう。つまり自分の銀行口座に入れ、クレジットカードなどで引き落としをしたり、証券口座に入れ米国債を購入したりして、普通に生活して行くために。
どうするかと言えば、個人で10行くらいの銀行口座を開設するのである。そして月3000ドルから10 000ドルくらい、ウォレットのビットコインを取引所で売却し、銀行口座に振り込んで行けばよい。あたかも給料が振り込まれたかのように。。口座が10個あれば、月70 000ドルのマネーロンダリングが可能に。一年でハーフミリオン程に。ペーパーカンパニーなど、さらに複数の口座を使えば、さらに迅速に。多分ハッカー一人あたり、一年で一億円分程のペースで換金されていったことだろう。いくら仮想通貨の価値が大きく下落したとはいえ、元々580億円分のNEMである。 



1、NEMの信用レバレッジの空売りで価格暴落のリスクヘッジ。
2、実際にマーケットを通して売却。NEMは暴落。
3、空売りの買戻しで細かく利益を積み増し。
4、積み増した利益と売却で得た資金で3倍プッシュ。ポジションを取り直す。
5、これを繰り返すことで資金の積みあがりは指数関数。
この一連のサイクルにより、単純に空売りするよりも、資金の増殖はさらに効率性を増す。何たってハッカー側は、自らの現物売りで暴落するのが分かっている訳で。。例えば資金の2倍で空売り出来るとしよう。1NEM100円の時に、100円分空売りして1NEMが80円になれば差額の20円が利益になる。しかしここではレバレッジ2倍で取引しているため、空売りしたのは2NEMの200円分で儲けは40円。その40円の儲けを利益確定し、今度は140円と現物NEMの売却で手に入れた10円を使い、150円で空売りし直せば、300円分の3,7NEM分を空売り出来る。すでに始めの自己資金から3倍ものNEMを空売りできるのである。たった一回の利益確定のサイクルで、空売り総額は1,5倍、2倍弱のNEMの空売り。実際にはレバレッジをもっと掛けているだろうし規模も桁違い、そして売買頻度も高いだろう。当座の資金洗浄は盗んだNEMや換金して作ったビットコインからのドル購入ではなく、この空売りによる間接的な利益からだっただろう。足が付かずに合法的に換金できる。

ここ一年の仮想通貨の暴落には、市場心理の悪化もあっただろうが、この580億円分のNEMからドルへの換金圧力もあっただろう。あっしの概算では9対1、もしくはそれ以下で、盗難NEMの換金圧力の方が小さいが。。。しかし、小さい市場に580億円の売り板があり、その売り板が落ちてくれば雪崩がおきる訳で。ほぼ全てのNEMが迅速にビットコインとイーサリアムに換金された。その後ビットコインの値段はザックリ5分の1に。もしこの過程でハッカー側がコインを保有し続けた場合、資産はもちろん5分の1の120億円分に。しかし、この過程でハッカーがかなり売却に成功していた場合でも、まだ現金化、ドル化出来ていないコインがあるだろう。少なくとも半分は残っていそうだが、根拠も無いし、すでにハッカーがコインを保有していない可能性もある。。。




ここから現実世界へ。。
今、世界で起こっていることを簡単に説明するで。今は、世界中のすべての資産クラスから資金が引かれているんやで。資金の行き先はUSD。そしてその資金は焼却処分。よく聞きますやろ?FRBの利上げでドル高になったって?あれや。そして、FRBはドルを印刷するのとは逆、すまり量的緩和とは逆の量的引き締めを行っているんやで。せやから仮想通貨も日経平均もAMZNも落ちてるんや。トルコやアルゼンチンの通過が暴落しているのも全部一緒や。お金が焼却処分される以上、資産価格の上昇は望みにくいでっせ。もちろん、NEMは規模が小さいんで、少しの資金で大きく動く。せやから、全体の流れに逆らって、上がるかもしれへん。しかし、トレンドは続くからトレンドなんでっせ。
トレンドを甘くみたらいかんで。日経平均も長野の別荘地も、30年間下落し続けているんやで。そして、FRBが金融引き締めする理由が、「投機的な投資を抑制するため」やで。FRBの言う、投機的な投資とは何かを考えなはれ。FRBが何を潰そうとしているのか?中央銀行に逆らったいけまへんで。

ちなみに、今NEMを売っているのは、間違いなく運営側でっせ。運営の台所事情は火の車でっせ。なんせ、運営を維持するのに、莫大な資金が必要やさかい。沢山の高給取りのプログラマー、囚人のジレンマに陥って、誰よりも早く売り抜けたいスーパーノード。割りを食うのは勿論、既存保持者。そして財団に群がる、ジャッカルたち他の金融機関、取引所。財団の資産が減れば減るほど、財団の保有する資産、NEMの燃焼スピードは早まりまっせ。

あっしの概算なんやが、毎月1億から5億円分のNEMを、運営を維持するために、売ってまっせ。NEMが上がるには、その売り圧力以上の買いが必要でっせ。せやからじり貧で、下落傾向なんやで。短期的な上げも、ここぞとばかりに、内部の人間が売り抜けてまっせ。
それどころか、自分が売り抜けてる為に、情報を流して、NEMを押し上げてまっせ。規制する法律がないんや、インサイダーやあらへん。割りを食うのは、情報を持たない個人。

NEMは下落が続けば、上場停止になりまっせ。言い方を変えると、運営が逃げまっせ。誰もボランティアで運営をしている訳ではなく、慈善事業として私財を投げ打って運営している訳ではございません。もし、1NEM1円になれば運営資金を確保するために、月1億NEMが必要になりまっせ。なんせ月一億円は運営費用として必要だからな。宣伝布教のために開設した支部があだでっせ。ちなみに発行数が90億NEMやで。一年で10億NEMを燃焼すれば、すぐに燃え尽きまっせ。ただし、財団の保有するNEMの総額は不明。すでに枯渇している可能性も十分あり。収入であるトランザクションフィーも無い可能性が高い。

あっしの予想だと1NEM、1円から5円程度で上場停止。もしくは、大幅な増資。もうね、一度盗まれてしまえば、信用が失墜してるから、無理やで。傷モノのシステムに価値はないで。エアバックのタカタと同じや。
もしあっしが運営なら、
1、とっとと見切りをつけて上場廃止、運営の解散。
2、不具合を修正して、名を変え再上場。
3、もちろん取引所にも一枚噛ませて、宣伝してもらう。
4、こうして焼畑農業コインの完成です。
5、やばくなったら、どろん。1に戻る。

まあ何度も言うが、規模が小さいんで、少しの資金で大きく動く。ポロロッカもあるで。
またあっしと同じ考えで、売り崩す動きもあるから、売り崩されれば、運営資金の枯渇で試合終了。逆に売り方が踏み上げにあえば、一時的には大幅上昇。しかし、運営の売りとスーパーノードの売りで結局下落。
で現状は多くの投資家が同じことを考えている。買値まで戻ったら売って撤退。つまり上値は重いし、運営側からの売りも重なる。これは親のみが確実に利益を得る、ネズミ講やで。誰が親で、誰がネズミか?どないすんねん?



もしNEMが上がると思うなら、売買せず放っておきなはれ。上がるんやから、これ以上買う必要ないやろ?また上がるんやから売る必要もない。熱くなった負ける可能性が高いのが勝負の常。
1、市場心理の悪化による売り。
2、運営にる運営資金確保のための売り。
3、盗まれたNEMの換金売り。

今後の転換点は、
1、利上げの停止
2、量的引き締めの停止
3、利下げ
4、ゼロ金利、量的緩和の再開
もし仮想通貨が上がるなら、このどれかやで。多分4だと思うが。みんなはどないする?
まあ米株の方が確立は高い。複利でぶん回せば、損益分岐点が簡単に下がりまっせ。



最近、2019年2月の動向、、、
財団の資金枯渇が噂される。火の無いところに煙は立たぬ。
コインチェックとは、NEM流出時にロールバックしなかったことで不評を買い、物別れに終わったらしい。最近はNEMをよいしょしていた従来のコインチェックがその鳴りを潜める。宣伝して貰えないNEMは1年たった今でも下落傾向。1NEM5円からは、チキンレースも終盤。運営が逃げる確立が高い。。NEMの運営側は上手く逃げるつもりみたいだな。。後はペシャして、スクラップ&ビルド。。今の時価総額だと、約300億、今まで5億から10億ほど毎月燃焼していた模様。もう財団のNEMも底が付く時間帯か。。。ゼロ金利、量的緩和再開になり、金余りの時代までもてば、復活もあったかもしれないが。。やはりこの燃焼スピードではそこまでもたないか。。

NEMの最大売り圧力だった、財団のNEMが底を尽いたということは、
ここらへんが底かもね。資金調達しようにも売るNEMが無い。。ということで、NEMはこれ以上財団からは売られないが、跡に残った屍の山が、ゾンビとなってNEMを呪い続けそう。盗まれたNEMの換金売りもあるし、そのババを引いた不幸な投資家もいるだろうし、、、上値は相当重い。まあ運営終了すれば、終わりだが。。。パソコン1台でサーバー廻せば継続できるっしょ?後は他の通貨に巻き込まれなければ。。。NEMだって他の通貨を巻き込んだんだから。。。

ゼロ金利、量的緩和再開になり、金余りの時代まで生き残れば復活もあるかもね。
あっしの試算によれば、、、NEM終了になるか、運営が続くかは、半々かな?で続くならトレンドが継続する可能性が80%。つまり、90%の確立で、10万がゼロになり、10%の確立で10万が2倍の20万。このゲームで10回遊んだ時の結果は、マイナス90万+10万。つまり-80万。期待値はマイナス80%。10万賭けて遊んだ場合、2万円の払い戻し。
さてどうする?
1、10万ならもう無いものと思って継続。
2、期待値が50%の宝くじに移行する。
3、期待値がプラスのゲームに乗り換える。
サンクコストがどうたらこうたら。。
あっしなら切るかな。みんなはどうする?



今の仮想通貨は不公平で、一方のみが確実に得をする。言い方は悪いが、ねずみ講でっせ。仮想通貨が成功する鍵は、運営側、通貨保持者、通貨使用者、台帳記入者、市場及び交換所、誰にとっても公平でなくてはだめでっせ。
1、まずは情報の対象性。同じ情報を共有し、情報量に格差があってはならない。一方がインサイダーの様な事をやり、情報弱者がその割を食う様な現状では、普及は難しい。
2、資産、資本の公平性。一方が新しいコインを発行、そして上場し、市場でコインを売却、何もしなくても暴利を得ている。しかし当然ながら、誰かの利益は、他の人の損失。こんな状態では継続性に疑問が残る。またハードフォークなどで、無駄に分割して利益を拡大する行為は在りし日のライブドアを彷彿とさせる。
3、保有量や手数料に置いての公平。資金の多寡に置いて、格差が合っては駄目だろう。
保有、非保有、取引頻度、保有量に関わらず、安い取引手数料を実現出来なければ駄目だろう。ビットコインの様にマイニング競争で無駄に電力を消費するような仕組みは論外。
もちろん中間コストが上がれば、手数料の上昇になる訳で。。。また取引所に置いて、取引代金の5%を手数料として盗るようなら、現状の既存通貨で良い訳で。。。

総括
もし公平性に疑念の余地があるなら、そのコインの信用は低く、発行体が誰であっても、近寄らないのが吉だろう。ブロックチェーンも分散台帳も技術としては有用やさかい、必ず未来に置いて、一定の評価は構築なされるだろう。何時になることやら。。。私利私欲でのみ駆動する現状から、未来に向けて羽ばたけるのは?私利私欲に走れば、ジンバブエドル、トルコリラ、ベネズエラボリバルと同様の結果しか無い訳で。。。詰まるとこ価値の減少に歯止めがかからない。。。

2019/02/14

昨日の市場、今日の市場 20190214



昨日の市場は、、、
1、為替、債権ともにリスクオン。
2、SP500は、2750の壁に阻まれた状態。

今日の市場は、、、
1、ヨーロッパ時間、為替は動かず。
2、欧州、NY先物は小幅上昇。
3、今は2750の節目、抜けた方へ張るのが正解。

世界中見渡しても堅調なマーケットは、
NY主要指数のダウとSP500くらい。
日欧は、昨年末の下落から、上値が重いし、
NY小型指数のラッセル2000も重い。

10年もの米国債に目をやれば、
投資家の慎重な姿勢が垣間見れる。
つまり、金利は低いまま推移し、
債券価格は若干の高止まり。
投資家が慎重な間は、SP500はじりじり上がりそう。
突発的なニュースで冷や水を浴びせられぬよう注意するべし。
1、FRBの利上げを仄めかす発言。
2、米中貿易戦争。
3、ブレグジット
4、世界経済の後退
などなど

当たるも八卦、当たらぬも八卦、
八百長占い師の明日のコラムはお休みです。

2019/02/13

米国グロ-ス中小型株ってどう?



コメント欄からのご質問
米国グロ-ス中小型株を売買するとしたら、
どのような方法が良いのでしょうか?
資金は500万~1000万程度。追加投資資金なし。
全て米国グロ-ス中小型株はリスク高過ぎとは思いますが。

回答
1、ETFか個別株で答えが変わってくる。
2、腕に自身があるなら否定はしない。
3、確立で言えば、まずSP500には勝てない。
4、いずれにせよ配当無し、売却益を目指すことに。。

もし個別株で勝負するなら、、
長期保有はお勧めできない。
期間が長くなれば、不確実性が増す。
よく言われるのが、
1、中小企業が10年後に、生き残っている確立は5%とか、
5年以内に50%が倒産するとか。。。
2、AMZNのように、生き残った一部の企業の軌跡には、
星の数ほどの倒産していった企業があるとか。。。

よって分散で複数銘柄購入するのも微妙。
まあ分散しとけば、余命は長くなるが。。
他の投資家がよく言うのは、
「当たりそうな銘柄を10個買えばいいんじゃね?」
でもね、やっていみれば分かるけど大抵負ける。
そもそも、個別株の唯一の利点である、
爆発力を分散で潰すのはいかがなものかと。。
そもそもの論として、国内株式と比較して、
手数料が割高になるため、利鞘を稼ぐこと自体不向きだし、
時間、銘柄の分散で、手数料を多く支払えば、
元本が食いつぶされる。

もし個別銘柄、小型グロースで勝ちたいなら、、、
サンバイオ同様、勢いがすべてで、ファンダは関係なし。
爆発力こそが小型グロースの醍醐味。
基本は順張り、短期保有、一点買い。
しかしこの爆発力が悪い方へ作用すると、悲惨なことに。
もちろん配当なんて無いので、待っても報われることはない。
そしてリスクを取って勝てたとしても、利益の20%はお国へ。
また再現性に乏しいので、次も勝てるとは限らない。
普通にSP500で攻めれば、税金の繰越などで、
税金の支払いを先延ばしし、その分複利で多く回せる。

もしあっしが小型グロース個別株で勝負するなら、、
どうせ負けるものと思って勝負を挑む。
取引回数が多くなれば、手数料が嵩むので、
一括、全額の1000万を賭ける、この一点に全てを賭けろ。
また時間の無駄になるので、ちょびちょび遊んだりはしない。
とっとと負けてやり直し。お金と時間を両方失うは愚策。
失うならお金だけで十分。対数の法則が作用する前に撤退。
狙うのは、決算やプレスリリースまで日が十分にあり、
50日移動平均線が上向きの銘柄、トレンドラインも上向き。
それをトレンドラインの下限で買うか、
移動平均線を下から上にまたぐ時に購入。
必ず入れるのはストップロス。
ストップロスの値は過去の値動きから、
また利益確定も過去の値動きやテクニカルで判断。
規模が小さいので、指数につられることもないし、
少しの資金流入で大きく動く。
出来るだけ安い有利な値段で買いたいのも人情だが、
買えるころには、下落トレンドの可能性が高い。




そしてETFなら、、、
もちろん小型株のグロースになるので、ボラリティが高い。
かと言って銘柄が分散されているため、
個別株の爆発力は無いが、直ぐに負ける可能性も低い。
よく言われるのが、、、
1、SP500の配当再投資にダウンパフォームする。
2、配当なんて無いので、損失を配当にぶつけることができない。
3、高ボラリティなので、複利の減退効果を受けやすい。

例えば、100円で買った株が50%の損失を受けた場合、
50%上がっても75円、資金が回復するには100%の値上がりが必要。
しかしボラリティが低ければ、この減退効果は受けにくい。
1%落ちて、1%上がれば、ほぼ値段は変わらず。
これを続けても、同様。
しかし50%落ちて50%上昇を繰り返すと、
光の速さで資金が溶ける。計算してみ?

もしこのETFに投資するなら、
資金が流入するか、流出するかに注意を払えばよく、
期間は長期がお勧め。
どんなETFでも個別株でも短期的にはどっちにも動く。
しかし長期なら経済成長や企業の成長に株価は収斂される。

で資金が確実に流入する時は、、、分からん。
あっしがこのETFを売買するなら、中央銀行の動向次第かな?
金利ゼロ、量的緩和開始から買い始め、鍋底を這うように購入。
そして景気が回復し、金利上昇、
FRBの利上げが急激に進んだ時から利益確定開始、
利上げ打ち止めになる前には全撤退。
ちょうど2017年末から2018年末ごろかな?
まあそんな上手くいかんわな。
購入してから、売却までの期間は決して手を出さず、
株価を見ないし、損益の計算もしない。
売却も購入も3~5回くらに分けて、ドルコスト平均でいくかな。



でもねこれならSP500で良くね?
レバレッジ3倍のETFならジェットコースターで楽しそうだが、
長期保有には不向き。。。バフェットは大抵正しい。




総じて誰でも知っているような、解答で申し訳ない。
もし何か、画期的な面白いアイディアでもあると思った、
そこのあなた、残念。時間の無駄でした。

昨日の市場、今日の市場 20190213



昨日は、、、
1、障害物無し、リスクオンへ。
2、SP500は、ギャップアップで寄り付き後も上昇。
3、為替は微妙な雰囲気。

今日は、、、
1、為替はリスクオンのドル高。
2、欧州、NY先物は上昇。
3、目先の壁は2750と2800、
これを抜けてこれるか?

市場は楽観的な雰囲気。
米中貿易問題もブレグジットも財政問題も、
何とかなりそうな報道が続くが、真実はいかに?

しかし問題の本質はそこには無く、
根底にあるのは、もちろん高すぎる金利。
これが実体経済やGDPにどう影響してくるのか、
乞うご期待。。

取り敢えずリスクは取り過ぎないことをお勧め。
そして相場から降りないことをお勧め。
昨年8、9、10月の高値辺りまで戻せば、
空売り派の損切りが入るので、一段高も。
もちろん上昇相場を形成するのは、空売りの踏み上げ。
こんな高い所で買う奴いるのかよ?と思われるが、
撤退するために買わなければ、損失無限大。
買いは家まで、売りは命まで。。。

2019/02/12

昨日の市場、今日の市場20190212



昨日の市場は、、、
1、金利、為替はリスクオン。
2、欧州は先週末のNYのキャッチアップで上昇。
3、SP500は動かず。

今日の市場は、、、
1、為替はまちまち。
2、欧州、NY先物は上昇。
3、これといった材料は無し。
4、今日はギャップアップ後は、
迷走しながら、利益確定に押されそう。

相場は基本的に順張りが正解。
上げているなら上昇に賭ければええんやで?
しかし上げ続ける相場は無い。

どこでトレンドの転換を判断するかと言えば、
1、20日移動平均線を割った時。
2、実線がまるまる20日移動平均の下に来た時。
3、20日移動平均が垂れてきた時。
4、長い陽線、もしくは長い陰線が出た時。
5、宵の明星、三空叩き込みが出た時。
6、出来高が異様に膨れ上がった時。
7、ヘッド&ショルダーが出た時。
8、トレンドラインやボトムラインを割った時。
などなど、まあ大抵外れるんやけど、たまに当たる。
移動平均線は、10日、20日、25日、50日、75日、
などに変えても通用するが、時間軸の変更は宜しくない。
ちなみに下落相場の転換点はこの逆。

未だにどの項目にも触れないと言う事は、
相場は上昇傾向を指し示している。
そしてそろそろ50日移動平均線も上向きになりそう。
ちょっと前まで、リスクが高い資産の撤退を勧めていたが、
これは、下落のトレンドライン内で株価が推移していたため。
しかし今はこのトレンドラインをブレイクしている。。

チキンレースはいつか必ず終わるし、
ジェンガは積み上げれば必ず崩れる、
イェリコの壁はやがて(七日で)崩れる。
いつになることやら?わりかし早いかもね。
上がり過ぎれば利上げが可能だし。。。
利上げ観測が出れば、有無を言わず、
高リスク資産は降りるべし。
持つべき資産は、このまま一緒に
沈没しても良いと思えるものだけ。

2019/02/08

今、NATOは何の為に必要なの?



コメント欄からのご質問
今、NATOは何の為に必要なの?

回答
1、世界の安定を保つため。
2、軍事バランス、パワーバランスの均衡、拮抗を保つため。
3、政治不満などの内圧を外部に向けさせるため。
4、コストパフォーマンスに優れた防衛戦略として。

継ぎはぎのやっつけで作ったパッチワークなんやけど、以下歴史的経緯を踏まえながら解説。サミュエル・P・ハンティントン著、『文明の衝突』はお薦めです。

ときは、19世紀末。ヴィクトリア女王を君主とする大英帝国は黄金時代で、インドはイギリスの経済を支える重要な植民地だった。栄光の時をむさぼるイギリスの背後に、ロシアが忍び寄ってくる。植民地インドでは、南下政策をとって不穏な影を投げかけてくるロシアとイギリスの間で、諜報合戦が人知らず繰り広げられていた。
主人公のキムは、インド生まれのイギリス人。イギリス人でありながら、土地の言葉を巧みに操り、ヒンドゥー小僧のいでたちで路地を駆け巡る。
イギリス人でありながらイギリス人らしく育てられたことのなかったキムは、自分は何者なのかを問い続け、その疑問が明らかになる日を夢見て生きていた。
ラマ僧と旅を続けているキムは、実は、別の顔を持っていた。キムは、極秘の英才教育を施された、第一線で活躍する超一流のスパイなのだ。諜報合戦は熾烈を極める。だが、そのなかにあって、キムに勝るスパイはいない。少年らしいあどけなさを見せながら、実は誰よりも抜け目なく使命を果たすキムの姿は、彼の出自のように、不思議でなぞに満ちている。http://jisyameguri.jugem.jp/?eid=38

作者ラドヤード・キプリング(1865 - 1936)は、1907年にノーベル文学賞を受賞している『ジャングル・ブック』を書いたイギリスの作家である。『ジャングル・ブック』も『少年キム』も、イギリス統治下のインドが舞台だ。そう、すべてはここから始まるのである。アングロサクソンとスラブ系民族の対立が。そしてそれが引き継がれ東方正教会文明と、西欧文明の対立として昇華していくのである。
グレート・ゲーム(The Great Game)、中央アジアの覇権を巡るイギリス帝国とロシア帝国の敵対関係・戦略的抗争を指す、中央アジアをめぐる情報戦をチェスになぞらえてつけられた名称。イギリスの作家ラドヤード・キップリングの小説『少年キム』(1901年)により広く使われるようになり、なかば歴史用語として定着した。



1800年代初頭に始まるこのゲームは、世界の一体化(グローバリゼーション)が進行するなか、帝国主義時代の空白域となっていた中央アジアに対し、先鞭をつけて緩衝国化することが英露双方の重大な関心事となったことで始まる。実際の英露抗争は、ユーラシア大陸の別方面、極東においてより激しく争われた。英露抗争に関する国際政治史には、大英帝国・ロシア帝国(のちにソビエト連邦)に加えて日本・アメリカ合衆国・中国や多数の周辺諸国がプレーヤーとして参加しており、途中からは米ソ両超大国の争いへ継承され、現代においても多数のプレーヤーが参加するという経緯を辿った。極東方面での諸国間の抗争はグレート・ゲームの盛衰と切り離せなかった。

ロシア南下政策の最大の目的は、年間を通して凍結することのない「不凍港」の獲得だった。ロシアの国土は、冬が長く、寒冷・多雪などといった現象をもたらし、一部を除けば農業生産は必ずしも高くない。ここでは高い密度の人口を支えることが困難であり、人々はよりよい環境を求めて未開発の周辺地域に移ろうと努める。なかでも、より温暖な南方の土地を求める願望には根深いものがある。18世紀以降海洋進出に乗り出したロシアは広大な面積を有するものの、ユーラシア大陸の北部に偏って存在するため、国土の大部分が高緯度に位置し、冬季には多くの港湾が結氷する。そのため、政治経済上ないし軍事戦略上、不凍港の獲得が国家的な宿願の一つとなっており、歴史的には幾度となく南下政策を推進してきた。人口においても資源において西欧諸国とは比較にならない大国ロシアが不凍港を獲得し本格的に海洋進出を始めることに対して、西欧諸国は地政学の見地から並々ならぬ脅威を感じ、ロシアの南下政策を阻止することに非常な努力を注ぎ、この衝突が19世紀の欧州史における大きな軸となった。

ロシア帝国の南下政策は、主にバルカン半島及びオスマン帝国、中央アジア、中国及び極東の三方面において行われた。ロシア自身がスラヴ民族とギリシア正教圏(東方正教会)の盟主を自負していたこともあり、バルカン半島においては汎スラヴ主義と連動し当地での民族国家樹立を後押ししたが、一方では宗教も絡み、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国との対立の要因ともなった(汎スラヴ主義・東方正教会・マルクス主義、社会主義)。
ロシア革命後のソビエト連邦は、帝国主義に基づいた膨脹政策を放棄したものの、当初は公然と革命輸出を唱えていたこともあり、革命の波及を恐れる列強によって封じ込め政策の対象となる。冷戦時代になると、社会主義陣営を拡張する動きが、かつての南下政策と同様の図式で語られることが多かった。



年表
1853年クリミア戦争、欧州列強がオスマン帝国を支持。
1855年日本(江戸幕府)との間に日露和親条約締結。
1875年樺太千島交換条約を締結。樺太全島がロシア領になった。

アフガン戦争、第一次(1838年 - 1842年)と第二次(1878年 - 1881年)、アフガン戦争は19世紀に繰り広げられたグレート・ゲームの一環として、中央アジアに進出したロシア帝国がインドへと野心を伸ばしてくることを警戒したイギリスが、先手を打ってアフガニスタンを勢力圏に収めるために行った軍事行動であり、第二次アフガン戦争によってイギリスはアフガニスタンを保護国とした。

1877年、露土戦争、ロシアはオスマン帝国に完全勝利。サン・ステファノ条約によりバルカン半島の覇権を握った。翌年に列強の圧力によりサン・ステファノ条約は破棄される(ベルリン会議)。ただし全ての南下政策が終了した訳ではなく、バルカン半島のスラヴ民族の独立抵抗は継続され、これに欧州列強による帝国主義が関わり、衰退するオスマン帝国に対する東方問題、南下政策に代わるロシア帝国の汎スラヴ主義がバルカン半島の火薬庫として燻り続け、第一次世界大戦の伏線となる。
ヨーロッパにおける南下の限界を知ったロシアはアジアにおける南下進出を図る。18世紀末以降、不凍港問題を解決するために、ロシアはインド、ペルシアに目を付け、当時海上覇権を確立しつつあったイギリスと衝突する様になる。19世紀末には中国北東部を拠点として朝鮮半島・中国中央地域支配をもくろむも、当時国力を高めつつあった日本の干渉により難航。

1880年 - 1902年、ボーア戦争、イギリスとオランダ系アフリカーナーが南アフリカの植民地化を争った、2回にわたる戦争。ボーア戦争の損害は甚大であった。国庫が傾くほどの膨大な戦費が費やされて、イギリス人・ボーア人側双方とも戦死者・戦病死者2万人を超え、またイギリスはボーア人ゲリラへの支援を防ぐため各地に強制収容所を創設してボーア人婦女子を収容した結果、そこでも2万人以上の死者が出た。イギリスは、ボーア戦争で予想に反した苦戦を強いられ、オランダの背後にあるドイツ帝国を脅威と受け止めた。ボーア戦争の不振とドイツ帝国による積極的な外交攻勢に悩まされていたイギリス本国では、光栄ある孤立(Splendid Isolation)を放棄。クリミア戦争終結後のイギリスは、強大な経済力とイギリス海軍を中心とした軍事力を背景にした等距離外交を展開することによりヨーロッパの勢力均衡を保っていた。しかしアメリカ合衆国やドイツ帝国といった後発国の発展により、1870年代頃からイギリスの圧倒的な軍事的・経済的優位にも翳りが見え始めた。更にドイツを中心とした三国同盟とフランスを中心とする露仏同盟が形成されると、ヨーロッパの主要国のほとんどがそのいずれかに傾斜するようになり、イギリスのヨーロッパ外交における孤立が深刻化してきた。そしてボーア戦争で予想に反した苦戦と消耗を強いられた事により、非同盟政策の前提であるヘゲモニー保持に不安の見え始めたイギリスは1902年、光栄ある孤立を放棄し、ロシアの南下(南下政策)に対する備えとして、義和団の鎮圧で評価を受け、極東においてロシアと対立の深まりつつあった日本と日英同盟を結ぶことにより孤立は終結することとなる。

1891年、シベリア鉄道が着工。
1895年、三国干渉、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が日本に対して、清との間に結ばれた下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を清に返還することを求める
1901年、『少年キム』出版、イギリスの作家ラドヤード・キップリングの作品。時代背景を上手く捕らえ、1907年にはノーベル文学賞を受賞。受賞理由は「観察力、想像の独創性、着想の力強さ、及びこの世界的に有名な作家の作品を特徴づける語りの非凡な才能を考慮した」と述べている。
1902年、日英同盟が締結される。大韓帝国の支配権をロシアと争う日本と、ロシアの海洋進出を恐れるイギリスの、栄光ある孤立を見直すきっかけに。
1904年日露戦争。南樺太を奪われ朝鮮進出も絶望的になると、中央アジア進出を積極的に行うようになった。
1922年、ロシア革命により、ソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生すると政情不安のため一時期南下政策は中断された。
1945年にソ連対日参戦をし、南樺太と千島列島を占領。戦後に北方領土問題となる。
1969年 - 中ソ国境紛争
1979年 - アフガニスタン侵攻
1994年 - チェチェン紛争
2008年 - 南オセチア紛争
2014年 - 2014年クリミア危機



19世紀初頭のイギリス、世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極める絶頂の時、一人の少女が聖職者・将官・政治家たちの群衆の真ん中を悠然と歩いていき玉座に座る、イギリス中で最も権威ある男たちが一人の少女に騎士の誓いを捧げる。その光景を、一人の男が憧れを抱き、今の自分では望むべくもないが、いつの日か自分も女王の前に膝まづいてその手にキスをして騎士の忠誠を捧げたいと願ったという。1837年6月に国王ウィリアム4世が崩御し、18歳の姪ヴィクトリアが女王に即位した。ヴィクトリア女王が即位の日に初めて開いた枢密院会議。彼女が開催した最初の枢密院会議に出席すべくケンジントン宮殿を訪問した枢密顧問官リンドハースト男爵に、カバン持ちとしてその男は同行した。

そして31年後、この男はヴィクトリア女王の召集を受け、ワイト島にある女王の離宮オズボーン・ハウスを参内した。女王の前に膝まづくと彼女の手にキスをし、「忠誠と信頼の心に愛をこめて」と述べた。この男こそベンジャミン・ディズレーリ、当時大蔵大臣・庶民院院内総務。1868年2月、保守党の首相ダービー伯爵が病気で退任し、ヴィクトリア女王に辞表を捧呈した。その際にディズレーリ以外に党内をまとめられる者はいないとして彼に大命降下するよう助言した。保守党内では、大半の者は後任はディズレーリ以外には考えられないという認識だった。そこで組閣を命じられたディズレーリは承諾し、第一次ディズレーリ内閣成立。ヴィクトリア朝の長い歴史の中で数多く輩出された首相たちの中でも最もヴィクトリア女王に寵愛された首相である。

ヴィクトリアは娘ヴィッキー(ドイツ皇后にてドイツ皇帝・プロイセン王フリードリヒ3世の妃。ヴィルヘルム2世の母)宛ての手紙の中で「ディズレーリは一風変わったところもあるが、非常に聡明で、思慮深く、懐柔的な面を持つ」「彼は詩心、創造性、騎士道精神を兼ね備えている」と書いている。
ヴィクトリアから寵愛を受け続けたディズレーリは「女王陛下とうまく付き合うコツは、決して拒まず、決して反対せず、(受け入れ難い女王の要求に対しては)時々物忘れをすることだ」と語っている。
ヴィクトリアは直情径行、我がまま、短気で、理屈は通らない人物だった。ヴィクトリア自身も自らが「矯正不可能」なほど「意見されると感情が激高しやすい性格」であることを語ったことがある。

ヴィクトリア 女王(1819年 - 1901年、在位:1837年 - 1901年)
ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli、1804年 - 1881年)。



第2次ディズレーリ内閣が発足した頃、大陸では普仏戦争(1870年 - 1871年)に敗北したフランス共和国が凋落し、ドイツ帝国が大陸の覇権的地位を確立していた。更にドイツはロシア帝国やオーストリア=ハンガリー帝国と結託して保守的な三帝同盟をつくっていた。ディズレーリは三帝同盟弱体化をイギリス外交の目標に据えたのである。
三帝同盟は決して盤石ではなかった。ロシアは、普仏戦争でドイツを支持したが、戦後のドイツの増大化とフランスの弱体化を懸念していた。また、この頃のロシアは汎スラブ主義が高揚しきっており、バルカン半島の覇権をめぐってオーストリアとの対立が絶えなかった。それをドイツ宰相ビスマルクが強引に結び付けている状況だった。そのため三帝同盟を切り崩すチャンスはすぐにも訪れた。

オスマン=トルコは、かつての繁栄の残滓でバルカン半島、小アジア、中近東、北アフリカにまたがる巨大な領土を領有していたが、この時代にはすっかり衰退し、常にロシアから圧迫され、国内では内乱が多発していた。すでにギリシャには独立され(ギリシャ独立戦争)、エジプトも事実上独立していた(エジプト・トルコ戦争)。イギリスの庇護で何とか生きながらえている状態だった。イギリスにとってもオスマン=トルコを生きながらえさせることは死活問題だった。インドへの通商路は陸路の場合はオスマン=トルコ領を通らずにはすまなかったし、海路もスエズ運河が大きな役割を果たすようになっていたから、もしオスマン=トルコ領がロシアの手に墜ちるなら、イギリスの「インドの道」は陸路も海路もロシアの脅威に晒されることになる。ディズレーリとしてはオスマン=トルコを支援するしかなかった。

1875年にバルカン半島のキリスト教徒のスラブ民族に対して残虐行為を行うオスマン=トルコ帝国の支配に対してスラブ民族が蜂起した。1877年には汎スラブ主義を高揚させたロシア帝国がバルカン半島支配権をめぐってトルコに戦争を挑み、露土戦争が発生した。ディズレーリ首相は親トルコの立場を取ったが、トルコのキリスト教徒への残虐行為から議会・国民世論から強い反発を受けた。ディズレーリを寵愛するヴィクトリアさえもがディズレーリに「なぜトルコのキリスト教徒虐殺に抗議しないのか」と詰め寄っている。

だがディズレーリはバルカン半島をスラブ人小国家郡の割拠状態にしてしまうとロシアの食い物にされるだけと考えていた。ヴィクトリアもこれについては同じ考えであり、彼女はトルコ批判者が主張するようなトルコを処罰してその国土を分割せよというような案はロシアを利するだけとして批判した。また「トルコの野蛮性」を盛んに主張する英国世論が「ロシアの野蛮性」を主張しないことも不可思議に思っていた。

露土戦争は終始ロシア軍の優位で進み、ヴィクトリアはロシアに対する危機感を強めた。ロシア外相アレクサンドル・ゴルチャコフ公爵はスエズ運河、ダーダネルス海峡、コンスタンティノープルを奪ってイギリスの権益を侵すような真似はしないので中立を保ってほしいとイギリス政府に依頼していた。もっともロシアはイギリス国内の世論状況をよく調べており、イギリスがオスマン=トルコ側で参戦するなど到底できないことを知っていた。そのため約束を守る気などなく、ロシア皇帝アレクサンドル2世は軍司令官に「目標コンスタンティノープル」という命令を下している。

ヴィクトリアはロシアの約束など全く信じていなかった。ヴィクトリア女王はロシアの膨張を恐れるようになり、ディズレーリに退位をちらつかせて対ロシア参戦を要求するようになった。対ロシア開戦に消極的な外相ダービー伯爵(かつての首相ダービー伯爵の息子)を批判し、ディズレーリ首相に軍を出動させるよう発破をかけ続けた。ソールズベリー侯爵夫人はこの頃のヴィクトリアの状態を「自制心を失っており、閣僚たちをこづきまわしては戦争へ持っていこうとした」と評している。1878年1月にはディズレーリに宛てた書状の中で「私が男だったら自ら出ていって、あの憎たらしいロシア人どもをぶちのめしてやるのに」と激昂している。

女王の寵愛を自らの内閣の重要な要素と考えているディズレーリとしては、女王の意思をないがしろには出来ず、彼も8月頃から参戦の必要性を考えるようになった。結局ディズレーリ首相は軍に臨戦態勢に入らせながらも参戦しないまま、3月にはトルコとロシアの間にサン・ステファノ条約が締結された。この条約によりトルコはヨーロッパにおける領土をほぼ喪失し、ロシアはトルコから90キロに及ぶ黒海沿岸地域の割譲を受け、さらにエーゲ海にまで届く範囲でバルカン半島にロシア衛星国大ブルガリア公国が置かれ、地中海におけるイギリスの覇権が危機に晒された。またアルメニア地方のカルスやバトゥミをロシアが領有し、イギリスの「インドへの道」も危険に晒された。イギリスの権益など形だけしか守られていないこの条約に英国世論もヴィクトリアも激高した。ディズレーリもロシアに対して大ブルガリア公国建国の中止、アルメニア地域のロシア領土の放棄を要求し、ロシアが拒否するならイギリスもキプロスとアレクサンドリアを占領すべきと主張するなど強硬姿勢を示すようになった。

ディズレーリは駐英ロシア大使ピョートル・シュヴァロフ伯爵に対してこのような条約は認められないとして、大ブルガリア公国の建国中止、アルメニア地域で得たロシア領土の放棄を要求した。シュヴァロフ大使は「それではロシアの戦果がなくなってしまうではありませんか」と答えたが、ディズレーリは「そうかもしれないが、それを認めないならイギリスは武力をもってそれらの地からロシアを追いだすことになる」と通告した。

「公正な仲介人」としてドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクが仲裁に乗り出してきて、1878年6月から7月にかけてベルリン会議が開催されることとなった。会議にはイギリスからは首相ディズレーリと新外相ソールズベリー侯爵が出席することとなった。ロシアはドイツの支持を当て込んで(またすでにイギリスを半ば敵に回しているのにドイツまで敵に回すわけにはいかないので)ビスマルクが提唱する露土戦争の戦後処理国際会議ベルリン会議の開催に賛同した。ディズレーリは自らがベルリン会議に出席する決意を固めたが、ヴィクトリアは「ディズレーリは健康を害している。彼の命は私と我が国にとって重要な価値があり、危険に晒されることは許されない」として反対した。だがディズレーリは「鉄血宰相」と対決できる者は自分しかいないと主張して女王を説得した。

ディズレーリには会議で強硬姿勢をとれるだけの条件が整っていた。指を鳴らして対ロシア開戦を待ちわびている好戦的な女王と国民世論を背負い、さらにコンスタンティノープル沖ではイギリス海軍が臨戦態勢に入っていたからである。会議前の外相ソールズベリー侯爵とシュヴァロフ大使の交渉・秘密協定の段階ですでに大ブルガリア公国南部のトルコへの返還などロシアから譲歩を引き出すことに成功していた。
会議でディズレーリは徹底的な強硬路線を貫き、ロシアが反対するなら会議が決裂するだけであると脅迫して、イギリスの主張をほとんど認めさせた。会議の途中にビスマルクとシュヴァロフが譲歩を拒否した時、ディズレーリは帰国の準備を命じ、それを聞いたビスマルクはただの脅しだと思っていたが、本当に英国代表団が荷造りをしているので、やむなく譲歩したという逸話まである。

ベルリン会議でディズレーリはアジアに通じる大英帝国通商路を守るために全力を尽くした。ベルリン会議の結果、大ブルガリア公国は分割された。その南部は東ルメリア自治州としてオスマン=トルコに戻され、ロシアのエーゲ海への道は閉ざされた。さらにイギリスはキプロス領有が認められ、東地中海の覇権を確固たるものとした。全体的に見ればイギリス外交の大勝利であった。またこの会議でロシアがビスマルクに不満を抱くようになったこともディズレーリにとってはおいしかった。ディズレーリは会議から2年後に「我々の目標は三帝同盟を打破し、その復活を長期にわたって阻止することだったが、この目標がこんなに完璧に達成されたことはかつてなかった」と満足げに語っている。ビスマルクも「あのユダヤ人の老人はまさに硬骨漢だ」と驚嘆したという。



ここからロシアの地中海、中央アジアの南下政策が潰え、グレートゲームが極東へと変遷していくのである。1902年にはロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として日英同盟が締結された。19世紀の極東では、イギリス東インド会社を通商から締め出し、ライバルのオランダ東インド会社に欧州との交易を独占させた徳川幕府が支配するこの国を、イギリスを出し抜いた米国が開国させた頃、イギリスも遅ればせながら関係を持つことになった。 きっかけは大名行列を横切ったイギリス人達が殺傷された生麦事件だった。その報復のために差し向けたイギリス側艦隊は鹿児島城下を炎上させたが、油断のせいで旗艦が被弾するという被害を受けた(薩英戦争)。
これ以降、フランスに傾斜する幕府にかわる友好勢力としてイギリスは薩摩藩に新鋭兵器を提供し、徳川幕府を転覆させることに成功する。この関係は薩摩藩とその友藩が日本の支配権を確立すると一層深まり、イギリスは極東の日本に近代海軍を建設する大事業に関与して行く。

イギリスは植民地で幾多の現地人による軍隊を組織し、その征服事業の手足として用いてきたが、装備を持ち込んで訓練を与えれば、それなりの形になった軍隊が出来上がる。また日本人も自力で近代軍を作り出すことに成功した。しかし海軍、それもロシアの有する海軍(イギリスの基準からすれば“沿岸警備隊”程度だったとはいえ)と拮抗できるだけの海軍を、日本に自力で保有させるには、近代的な鉱工業と造船技術に加え、最低でも数十年の外洋での経験が必要だと思われた。

イギリスの目的は、1880年頃に計画され始めたシベリア鉄道が完成を迎える20世紀までに、この鉄道が軍事的空白地帯である満洲と朝鮮に流し込むであろう大量の兵士と軍需物資を、日本が撃退できるだけの戦力を準備させることにあった。日本の新しい政府を構成した武士達は、もともとが攘夷論を信奉していたが、その目的を達成するために世界でも例を見ない急速な欧化政策にアジアで唯一成功した。

イギリスが彼らに協力することで、その方向をロシアとの対決に誘導するのは簡単なことだった。なによりロシアから見れば、日本の近代的軍備はロシアとの一戦のために準備されているようにしか見えないのだから、ロシアの取り得る選択肢は日本を懐柔するか、まだ貧弱な軍備しか持たないうちに叩くか、そのどちらかしかない。
イギリスにとって幸いだったのは、日本人が欧州諸国から最良の相手を選んで学ぶ賢明さを有していたことで、1865年に幕府がロシアに派遣した留学生は公式に失敗だったと見なされるなど、多くの点で欧州の中で後進的地位にあったロシアから日本人が積極的になにかを学びたいと望むことはなく、ロシアが日本に与えられる餌は何もなかった。

1904年(明治37年) - 日露戦争開戦。結果はご存知の通りロシアは欧州の国家として初めてアジア人の国家に敗れるという屈辱を味わったが、犠牲は最小限に喰い止められた。しかし、このショックがロシアの対外進出への積極性を失わせた。かくして英露間のゲームに、曲がりなりにも独立国である清国と、日本・清国・ロシアいずれかの属領と認識されていた満洲・朝鮮を巡る、新興国家である日本の生死をかけた戦い、という新しい盤面とプレーヤーが加わった。




経済学の父、アダムスミスが予見したイギリス、産業革命が本格化する最中のルール変更、重商主義から自由主義へ。
アダムスミス(1723年 - 1790年)は重商主義の批判者であり、自由主義、資本主義システムの生みの親です。この時期イギリスは最も繁栄した時代でした。七年戦争と北米フレンチインディアン戦争で勝利をおさめ、大英帝国は拡大し、インドでも権力をふるっていたのです。そんな時代にスミスが、この状況は問題が多い、他に方法があるはずだ、と主張したのです。驚くべきことでした。当時イギリスは、軍事力を背景にヨーロッパ諸国と熾烈な競争を繰り広げ、植民地との貿易で莫大な富を得ていた。スミスは安全保障を懸念する重商主義者が絶えず戦争を起こす状況に気づいていました。更にナショナリズムに囚われてはいけないことも。行き着く先は、帝国同士の対立です。植民地を増やそうと競争し、収益を増やし、黒字を目指す過程で戦争が避けられなくなるのです。スミスは帝国間の争いだけでなく、植民地が起こす反乱もあると主張しました。富の収奪とそれが引き起こす戦争のサイクル、重商主義という名の帝国主義を推し進めた末に、支払うことになるコストを見抜いていたのです。

イギリスは植民地経済が産み出す富の限界にぶつかり、一方で近代戦の質的変化により、気軽に手を出した南アフリカでの征服戦争で国庫が傾くほどの支出を強いられるようになった事態に、世界帝国という商法の黄昏を感じ取っていた。重商主義と植民地経営の見えないコストが一気に噴出したのである。実際のところ既にイギリスは、世界規模でのゲーム当事者としては体力の限界を迎えつつあり、その座を虎視眈々と狙っているのが新大陸の灰色熊だった。

極東におけるロシアの勢力拡張は、すでに日本によって頓挫させられており、その関心はバルカン半島へ向けられていた。当時のイギリスにとって危険な敵はドイツ帝国であり、欧州においてイギリスと軍拡競争を続け、オスマン帝国と結んで中東への進出を図っていた。そのためイギリスの、ロシア・フランスとの協調には、より多くの利益が見出されていた。ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島はサラエボ、(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領、旧ユーゴスラビア)、第一次世界大戦の原因となったサラエボ事件へと繋がった行くのである。ボスニア・ヘルツェゴビナは1878年のベルリン会議でオーストリアが占領し、その後1908年には正式にオーストリア領に併合されていた。多くのボスニア住民、特にボスニアのセルビア人住民はこれに反発し、セルビアや他の南スラヴ諸国への統合を望んでいた。

第一次世界大戦ではイギリスとソ連の関係は一時的に提携関係が見られた。ソ連とイギリスが協力する時代に入ると、両強国間のグレート・ゲームは小休止した。この戦争は多くの参戦国において革命や帝国の解体といった政治変革を引き起こした。戦争の結果、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン、ロシアの4帝国が崩壊した。ロマノフ家、ホーエンツォレルン家、ハプスブルク家、オスマン家が権力の座を追われた。4つの帝国が滅亡解体された結果、9つの国が建国された。終戦後も参戦国の間には対立関係が残り、その結果わずか21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発した。



しかし蜜月関係は続かない。冷戦の対立構造が生まれるのである。第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる。第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義のソビエト連邦との冷戦が激しさを増す中で、イギリスやアメリカが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生したのがNATO北大西洋条約機構である。結成当初は、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」(反共主義と封じ込め)というヘイスティングス・イスメイ初代事務総長の言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツ問題に対する一つの回答でもあった。加盟国は集団的安全保障体制構築に加えて、域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する集団的自衛権発動の義務を負っている。一方、この事態を受けてソ連を中心とする東側8か国はワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させ、ヨーロッパは少数の中立国を除き、2つの軍事同盟によって分割されることとなった。
またヨーロッパのみならず、アジア、中東、南アメリカなどでも、それぞれの支援する機構や同盟が生まれ、世界を二分した。この二つの陣営の間は、制限されているがために経済的、人的な情報の交流が少なく、冷戦勃発当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、「鉄のカーテン」と表現した。アメリカ陣営とソ連のどちらにも与しない国家は「第三世界」と呼ばれ、それぞれの陣営の思惑の中で翻弄された。
第三世界の諸国では、各陣営の支援の元で実際の戦火が上がった。これは、二つの大国の熱い戦争を肩代わりする、代理戦争と呼ばれた。
1、朝鮮戦争。
2、ベトナム戦争。
キューバ危機は戦争の一歩手前までいった。

第二次世界大戦から冷戦を通じて、西欧諸国はNATOの枠組みによってアメリカの強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。二度の世界大戦による甚大な被害と、1960年代にかけての主要植民地の独立による帝国主義の崩壊により、それぞれの西欧諸国は大きく弱体化した。そのため各国は、アメリカの核抑止力と強大な通常兵力による実質的な庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を持とうとした。

そんな盤面で起こったのが新グレート・ゲーム(The New Great Game)である。かつてソビエト連邦領だった中央アジアの国々のパイプライン建設を通して、石油と天然ガスの長期的な供給を確かなものにしようという中国、ドイツ、インド、日本、ロシア、韓国、イギリス、アメリカ間の競争関係のことである。
イギリスとロシアのこの地域における関係は、19世紀のグレート・ゲームに遡り、アメリカの中央アジア進出については、後発国とはいえ、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻に遡る。1978年に成立したアフガニスタン共産主義政権を支えるために、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。このため西側世論が反発して東西は再度緊張、ソ連が一方的にアフガニスタンに侵攻したことへの対抗処置として、アメリカ政府は1985年から1992年にかけてCIAらによる総額数十億ドル規模の極秘の武器供給などによる支援にて、オサマ・ビンラディンらを含むアフガニスタンの反共勢力「ムジャヒディン」を援助した。また、ソ連と対立する中国も毛沢東主義者のアフマド・シャー・マスード(反ソ連軍ゲリラの司令官)を支援して、これに対抗した。中央アジアに反テロの軍事基地を作ろうとする超大国(殆どはアメリカ)の思惑により状況は複雑になっていく。
影響は1980年モスクワオリンピックの西側ボイコットとして現れた。東側は報復として、1984年のロサンゼルスオリンピックをボイコットした。戦争を短期で終結させるソ連の目論見は外れ、侵攻の長期化によってソ連財政は逼迫し、アメリカは間接的にソ連を弱体化することに成功した。ソ連は国内情勢の変化によって1989年には泥沼のアフガンから完全撤退、世界から急速にソ連の影響力が弱まりつつあった。

人々は、このアフガニスタンの騒乱によって、世界には東西の陣営とは別にもう一つの勢力があることに気が付き始めた。それはイスラム主義と呼ばれる勢力であり、二つのイデオロギー対立とはまったく異なる様相を呈した。アフガニスタンではアメリカはソ連を倒すために、この勢力を支援したが、1979年イラン革命の際には、国際法を無視してアメリカ大使館が1年余りにわたり占拠されるなど、米ソに新たなる敵をもたらすこととなった。この際、アメリカは大使館員救出のために軍を介入させたが失敗、アメリカ軍の無力さを露呈した(イーグルクロー作戦)。このイラン革命によって中東は動揺し、1980年にイラン・イラク戦争となって火を噴いた。米ソはイスラム革命が世界に広がることを恐れ、イラクを援助して中東最大の軍事大国に仕立てた。戦争は長期にわたり、1987年には米軍が介入したが、決着のつかないままに終わった。しかし、この時のアメリカによる中東政策が、後の21世紀の世界情勢に大きな影響を与えることになった。アメリカによる中東への介入やグローバリゼーションに反感を抱くアルカーイダは、2001年にアメリカ同時多発テロ事件を惹き起こし、対テロ戦争と呼ばれるアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争となる。




1991年に東側諸国の盟主であったソビエト連邦が消滅したことにより、日米西欧をはじめとする西側陣営の勝利に終わった。1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧革命と1991年のワルシャワ条約機構解体、ソ連崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理に重点を移した。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件への対応については、10月2日に北大西洋条約第5条を発動し、共同組織としては行動しなかったものの、アフガニスタン攻撃(アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)やアメリカ本土防空、領空通過許可等の支援を実施している。
2001年の911事件を契機とする米国の直接介入によって、再建されたアフガニスタン政権と、一度は崩壊しながらも復活を目指すタリバン勢力(旧アフガニスタン・イスラーム首長国)、対テロ戦争の名目で参加させられたNATO諸国、日米同盟の証として再参加させられた日本などが加わって、ロシアやイスラム原理主義、各民族の重武装化と軍閥化によって、新グレート・ゲームが続いている。

リーマンショックが引き金となった2008年の世界金融危機までは、米国が唯一の超大国として君臨していた。しかし、2008年以後の世界は、冷戦体制や米国一極体制によって抑えられてきた民族紛争や地域紛争が続発し、かつ冷戦体制や米国一極体制に基づく価値観が破綻を見せ、変化が多くなって流動性を増している。
そんな不確実性が高まったこの局面で起こったのがアラブの春やそれに続くシリア内戦、クリミア危機・ウクライナ東部紛争である。アフガニスタン戦争、イラク戦争で生まれた、権力の空白地帯に進出するイスラム国などの新たな勢力、そして今まで押さえ込まれていた民族自立を目指す機運が、対外的脅威の縮小に伴い、一気に内側に向かって爆発したのである。

アラブの春(Arab Spring)とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。
2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトやリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始めた。また、遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及す恐れが懸念されるようになった。そして2014年には、元アルカイダ系のイスラーム過激派組織「ISIL」がシリアとイラクの国境をまたぎ台頭。フセイン政権崩壊、及びシリア内戦によるの権力の空白地帯で、旧イラク政権のイラク人が権力の掌握を目指し、地域情勢はこれ以降深刻な事態に陥っている。

冷戦後の世界では対外的脅威が無くなった東欧でも綻びが出てくる。もともとスターリンの庭だったこの地でも民族自立の機運が高まってくることに。共通の敵が居なくなれば、異なる民族は対立を起こすのである。
ことの発端は、ロシアの隣国であるジョージア、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった(新冷戦)。ロシアはウクライナ、ジョージアのNATO加盟は断固阻止する構えを見せており、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は、もし2008年のNATO-ロシアサミットでウクライナがNATOに加盟する場合、ロシアはウクライナ東部(ロシア人住民が多い)とクリミア半島を併合するためにウクライナと戦争をする用意があると公然と述べた。そして、プーチンの言葉通りウクライナにおいて親欧米政権が誕生したのを機に(ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権崩壊、2014年ウクライナ騒乱)、クリミア共和国とセヴァストポリ特別市の一方的な独立宣言(クリミア共和国の成立)、それらのロシアへの編入の宣言に至った。クリミア半島及びウクライナ東部でロシアが軍事介入を行い、ウクライナ東部では紛争となっている(2014年クリミア危機、ウクライナ東部紛争)。




冷戦期において脅威とされていた共産主義勢力の次に出現した新たな世界秩序において、最も深刻な脅威は主要文明の相互作用によって引き起こされる文明の衝突であることが分かる。特に文明と文明が接する断層線(フォルト・ライン)での紛争が激化しやすい。
サミュエル・P・ハンティントン、文明の衝突、1996年、原題は『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』

文明は包括的な概念であり、広範な文化のまとまりであると考えられる。文明の輪郭は言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度、文化を背景とした価値観、さらに主観的な自己認識から見出される。人間は重複し、また時には矛盾するアイデンティティを持っているために、それぞれの文明圏に明確な境界を定義することはできないが、ある一定のまとまりを持って存在している。人々は血縁、宗教、民族、言語、価値観、社会制度などが極めて重要なものと見なすようになり、文化の共通性によって協調や対立が促される。そして全ての国は文化を共有する文明圏に参加し、協力しようとするが、文化的に異なるものには対抗、排除しようとする。これは安全保障や経済とは明らかに異なる行動原理であり、区別しなければならない。

古典的な国際政治学の問題とは政治的影響力、相対的な軍事力、繁栄や経済力、人間、価値観や文化、領土などがある。伝統的な国民国家は健在であるが、しかし行動は従来のように権力や利益だけでなく文化によっても方向付けられうるものである。なぜなら文化とは人間が社会の中で自らのアイデンティティを定義する決定的な基盤であり、そのため利益だけでなく自らのアイデンティティのために政治を利用することがあるためである。世界政治において文化やアイデンティティが重大な影響を果たすようになれば、「西側」、「東側」、「国民国家」などの国際政治の視座ではなく、文明の境界線にしたがって世界政治の枠組みは再構築されることになる(文明同士のブロック化)。近年の地域主義の進展によって、世界各地で文化摩擦と文化復興が見られる。同様にイスラム文明も台頭しつつあり、近代化を進めながらも西欧文化を拒否して独自のイスラム文明を再構築しようとしている。近年のイスラム復興運動とはこのような社会状況を背景とする文化的、政治的運動であり、イスラムの原理主義はその要素に過ぎない。

政治的独立を勝ち取った非西欧文明は西欧文明の支配を抜け出そうとしており、西欧文明との均衡を求めようとする。巨視的には西欧文明と非西欧文明の対立として理解できる。このような関係が敵対的なものになるにはいくつかの側面があるが、イスラム文明や中華文明、東方正教会文明(ロシア)は挑戦する存在として西欧文明と緊張関係にあり、場合によっては敵対関係になりうる主要文明である。ラテンアメリカ文明やアフリカ文明は西欧文明に対して劣勢であり、また西欧文明に依存的な態勢であるために対立することは考えにくい。つまり西欧文明にとって最も衝突の危険が高い主要文明はイスラム文明と中華文明、東方正教会文明である。
かつてのアメリカとソヴィエトによって形成されたイデオロギーの勢力圏に代って、それぞれの文明の勢力圏が新たな断層線、フォルト・ラインを生み出し、そこで冷戦中にはなかった紛争が頻発するようになっている。西欧の衰退に伴う西欧化への反発、冷戦の終結によるイデオロギーの影響力低下などの諸要因によって発生したと考えられる。




近代において圧倒的な影響力を与えた西欧文明は現在では二面性があり、それは圧倒的な優位を誇る先進的な文明という側面と、相対的に衰弱しつつある衰退途上の文明という側面である。このような西欧文明の衰退には極めて長期的な衰退であること、また不規則な進行で衰退すること、権力資源が量的に低下し続けていることといった特徴がある。特に領土、人口、経済生産、軍事力全ての面での相対的な衰退が始まっていることは顕著であり、21世紀においても西欧文明は最強の文明であり続けることが可能であったとしても、その国力の基盤は縮小していくことになる。

冷戦後の世界政治において主要文明の中核国は重要な役割を果たすようになっている。中核国は他国を文明の構成員に誘致し、また拒否する重要な行為主体である。ある文明の参加各国は中核国を中心に同心円に位置しており、中核国が持つ勢力圏は文明圏と一致し、その影響力は文化水準や文化の影響力などによって左右される。
文明の衝突とは、文明のフォルト・ラインにおいて紛争が勃発する形態であり、フォルト・ライン戦争はこれが暴力化したものを指す。フォルト・ライン戦争は必ずしも将来終結するとは限らない。なぜならフォルト・ライン戦争とは文明間の異質性に根ざしたフォルト・ラインによるものであり、地理的な近接性、異なる社会制度や宗教、歴史的記憶によって半永久的に引き起こされうるものである。古くは十字軍の遠征から現在に続くイスラム教とキリスト教の対立、そして19世紀から続くグレートゲームなど。冷戦期において脅威とされていた共産主義勢力の次に出現した新たな世界秩序において、最も深刻な脅威は主要文明の相互作用によって引き起こされる文明の衝突であることが分かる。世界の主要文明の中核国によって世界戦争が勃発する危険性は否定できない。なぜならフォルト・ライン戦争は最初の戦争当事者が一構成国であっても、その利害は必然的に文明全体に関わることになるためである。

大規模な文明の衝突という最悪の事態を回避するためには中核国は他の文明によるフォルト・ライン戦争に軍事介入することには注意を払わなければならない。ハンティントンはこの不干渉のルールと、文明の中核国が交渉を行い、自己が属する文明のフォルト・ライン戦争が拡大することを予防する共同調停のルールを平和の条件としている。そしてより長期的な観点から現在の不平等な文明の政治的地位は平等なものへと平和的に是正し、西欧文明と非西欧文明の衝突を予防する努力が必要であるだろう。ただしこれらの原則や政策は現状から考えて実施することは大きな困難である。しかし世界平和を求めるためにはそれまでとは異なる文明に依拠した政治秩序が必要であると結論する。

2017年にアメリカで大統領選挙中からNATO不要論を掲げたドナルド・トランプが大統領に就任すると、アメリカとそれ以外の軍事費負担の格差に不満を隠さなくなり、2017年7月にはトランプがNATO総長との朝食会の場で、ドイツなどに対して軍事費負担の少なさについて不満を展開。「こんな不適なことに我慢していくつもりはない」と主張するなど、アメリカの関与を縮小する意向を示している。2019年1月にはトランプがNATO離脱意向を漏らしたと報道された。




世界システムから考えるアメリカの覇権と今後。
イマニュエル・ウォーラステイン(1930年 - )が提唱する世界システム論によれば、世界システムとは、ひとつの分業体制に組み込まれた広大な領域のこと。国などのいかなる政治的単位をも超える規模を持つということから「世界」システムと呼ばれる。複数の文化体(帝国、都市国家、民族など)を含む広大な領域に展開する分業体制であり、周辺の経済的余剰を中心に移送する為の史的システムである。世界システムは世界経済と世界帝国に分類される。なお、ここで言う世界とは地球上すべてを覆う概念ではなく、より小さな地域的単位を含む。イスラム世界、地中海世界、東アジア世界、新世界、旧世界といった概念を思い浮かべると分かりやすい。
世界システム論からみたソ連は、世界が資本主義の「世界」と社会主義の「世界」に分断されていると理解されてきた冷戦時代から、「世界経済の一体性」を強調してきた。ウォーラーステインは、ソヴィエト連邦が近代世界システムのなかでアメリカ合衆国と政治的には敵対することで、むしろ機能的には世界経済を安定化させていると論じている。

世界システムとは言うものの、必ずしも地球全域を覆う規模に達している必要はなく、一つの国・民族の枠組みを超えているという意味で「世界」システムと呼ばれるのであり、中央(中核)・半周辺・周辺(周縁)の三要素による分業であり、歴史上、政治的統合を伴う「世界帝国」か政治的統合を伴わない「世界経済」、どちらか二つの形態をとってきた。
しかし過去において存在した世界システムと、16世紀に成立した「近代世界システム」が決定的に異なるのは、前者が世界経済から世界帝国へ移行したか、さもなくば早期に消滅したのに対し、後者は世界帝国となることなく政治的には分裂したまま存続している点である。ウォーラステインは近代世界システムのみが世界帝国となる事なく、そして衰退する事無く存在し続ける理由として世界的な資本主義の発展を挙げており、近代世界システムが多数の(言い換えれば世界システムに比較し小規模の)政治システムにより成り立っていた為、経済的余剰を世界帝国特有の巨大官僚機構や広域防衛体制に蕩尽する事無くシステム全体の成長に寄与させる事ができ、また経済的要因の作用範囲が個々の政体の支配範囲を凌駕していた為、世界経済は政治的な掣肘を超えて発展する事が可能となった、としている。

このように同じシステム内においても、中心・半周辺・周辺で役割と生産形態が異なるのが世界システムの国際的分業体制である。ウォーラステインによれば、近代世界システムにおいて世界経済のもたらす利潤分配は著しく中央に集中するが、統一的な政治機構が存在しないため、この経済的不均衡の是正が行われる可能性は極めて小さい。その為、近代世界システムは内部での地域間格差を拡大する傾向を持つ事になる。単線的発展段階論によれば「後進」周辺地域は「先進」西欧諸国と同じ道をたどり、やがて先進中央諸国に追い付く、少なくとも経済格差は縮まっていくはずであるが、この様な理由により、周辺は中央に対する原料・食料などの一次産品供給地として単一産業化されており、開発前の「未開発」とも、開発途中の「発展途上」とも異なる「低開発」として固定化されてしまっているのである。

世界システム内において、ある中心国家が生産・流通・金融の全てにおいて他の中心国家を圧倒している場合、その国家は「ヘゲモニー国家(覇権国家)」と呼ばれる。ウォーラステインによれば、ヘゲモニーはオランダ・イギリス・アメリカの順で推移したとされる。ただし、ヘゲモニーは常にどの国家が握っているというものではなく、上記三国の場合、オランダは17世紀半ば、イギリスは19世紀半ば、そしてアメリカは第二次世界大戦後からヴェトナム戦争までの時期にヘゲモニーを握っていたとされる。ヘゲモニーにおける優位は生産・流通・金融の順で確立され、失われる際も同じ順である。実際、イギリスが「世界の工場」としての地位を失った後もシティはしばらく世界金融の中心として栄え、アメリカが巨額の貿易赤字をかかえるようになってもウォール街がいまだ世界経済の要として機能している。これらに共通するのは、その国が覇権のピーク時に生産、流通(貿易)、金融の各分野であいついで優位に立ち、軍事・政治そして文化の各領域でその支配と価値を他国に強要できることである。しかしその覇権は失われ、再び列強が対峙する勢力均衡へと道をゆずる。そしてアメリカの影を脅かす中国、まずは世界の工場として、工業生産の基盤を固め、次は流通、フローを固め掛かっている。人、物、金、そして情報、最近のアメリカによるファーウェイやZTEの締め付けは、このフローを死守するため、ハイテク・情報産業を護送船団で守るためだろう。




そしてアメリカのこの覇権の崩壊を予測する学者が。。。
エマニュエル・トッド (1951年 - ) は、フランスの歴史人口学者・家族人類学者である。2002年の『帝国以後』は世界的なベストセラーとなった。経済よりも人口動態を軸に歴史を捉え、ソ連崩壊やイギリスのEU離脱、アメリカでのトランプ政権誕生を予言した。『帝国以後』 は、1991年のソ連崩壊以降、アメリカが唯一の超大国になったという認識が一般的であった。そのアメリカの中枢で起きた 911 テロから一年後の 2002年9月、トッドは『帝国以後』を出し、アメリカも同じ崩壊の道を歩んでおり、衰退しているからこそ世界にとって危険だと述べ、2050 年までにアメリカの覇権が崩壊すると予測し、世界的なベストセラーとなった。またその後のフランス、ドイツの外交の理論的な支えとなった。

20世紀の前半には、アメリカは民主主義の守護者と見なされ、また最も工業化され充足的な経済を持ち、世界にとって必要不可欠の存在であった。しかし後半には、かつてアリストテレスが指摘した民主制から寡頭制への変化が起きる。平等な民主主義は義務教育の普及により識字率が向上することで実現するが、さらに高等教育が一般的になると学歴による所得格差が生まれ、再び不平等を支持する階層が増えていくのである。また、アメリカは巨額の貿易赤字を出すようになり、外国資本の不断の流入を必要とするようになった。工業における決定的な技術的優位も失われた。こうして、世界が民主化される中でアメリカの民主主義は後退し、また世界経済がアメリカに依存しなくなる中でアメリカ経済は世界に依存するようになった。トッドはこれを二重の逆転と呼ぶ。アメリカがもはや世界にとって不要になりつつある時に、アメリカにとって世界は必要不可欠になっているのである。アメリカの経済力低下と地政学的孤立に対する不安をそこに見出す。

このためアメリカが採っているとトッドが考える戦略が、劇場的小規模軍事行動である。それが劇場的なのは、イラン、イラク、北朝鮮などの発展途上国を敵に回し、世界の主役として振る舞うことで、真の大国である EU、日本、ロシアと対決する力が無いことを隠すためである。またそれが小規模なのは、国力の低下とアメリカ陸軍の伝統的な無能さによる。アメリカが軍事的に最強なのは疑いがないが、全世界を相手にするにはむしろ貧弱である。海軍、空軍の優位は揺らぎ無いが、陸軍は無能であり、すでに第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において弱さが露呈していた。朝鮮戦争では引き分け、ベトナム戦争では敗北している。アメリカ軍の伝統は物量と軍事技術で圧倒するインディアン戦争であり、湾岸戦争はこれを再現した。しかしローマ帝国のように帝国的空間を作るのは陸軍による占領であって、アメリカ軍は帝国を築くには弱すぎるのである。

経済的にはアメリカの弱体は一層明らかである。2001年の貿易収支は、主要な国家全てに対して赤字を出している。その赤字額は、中国に 830 億ドル、日本に 680 億ドル、EU に 600 億ドル(うちドイツに 290 億ドル、イタリアに 130 億ドル、フランスに 100 億ドル)、メキシコに 300 億ドル、韓国に 130 億ドル、イスラエルに 45 億ドル、ロシアに 35 億ドル、ウクライナに 5 億ドルである。しかもこの赤字は石油などの原料ではなく、工業製品の輸入によるものなのである。アメリカの国内総生産は巨大だが、これは価値が疑わしいサービス産業を含み、トッドは貿易収支のみを信頼できる指標と見なす。

ローマ帝国を支えていたのは属領からの貢納物であったが、アメリカが帝国であるとすれば、その属領は日本と西欧である。1998年の在外アメリカ軍は 259871 人であり、そのうち 60053 人がドイツに、41257 人が日本に駐留している。しかしローマ帝国と異なり、アメリカの軍事力は属領から貢納物を徴収できるほど強くはない。アメリカを支えているのは日欧からの自発的な投資である。しかしトッドは、エンロン破綻に見られるようにアメリカにおける資産価値を信用せず、いずれは株価とドルの暴落により崩壊し、日欧の投資家は身ぐるみを剥がされるだろうと予想する。

アメリカにとって中東は直接的に重要な地域ではない。アメリカは決して中東の石油に依存していない。アメリカが消費する石油の 70% は自国を含む西半球から来る。また、 2000年のアメリカの貿易赤字 4500 億ドルのうち、石油による赤字は 800 億ドルであり、無視はできないが主要部分ではない。中東の石油に依存しているのはアメリカではなく日欧である。アメリカは石油に限らずどんな製品を封鎖されても破綻する。従ってトッドは、アメリカが中東の石油に固執するのは自国経済のためではなく、日欧に対する影響力を確保するためであり、それは逆に日欧の統制権を失いつつあることへの恐怖を示しているとする。

アングロサクソンは絶対核家族であり、差異主義である。すなわち、人間や諸民族をそれぞれ違っているものと見なす。かつては普遍主義のソビエト連邦の脅威があったため差異主義は抑えられていたが、冷戦終結によりアメリカの普遍主義的態度は消え去りつつある。アメリカは黒人とインディアンを差別することで白人の平等を実現した。ユダヤ人は白人に分類される。これによりイスラエルへの過剰な支持とアラブ人に対する敵意が生まれる。
このような差異主義は、同盟国をも不安にさせる。一方的行動によりヨーロッパの面目を潰し、NATO を成り行き任せにし、また日本を軽蔑して後進的と決めつけているとトッドは言う。真の帝国はギリシャ人やゲルマン人を吸収したローマ帝国のように開かれた存在だが、アメリカはますますアメリカ人(特にWASP)だけが優れていると思うようになっているのである。
アメリカとヨーロッパの利害は対立するようになっている。ヨーロッパは正常な貿易収支内で原料とエネルギーを輸入し、工業製品や農作物を輸出する。また近隣のロシアと中東は重要な貿易相手である。中東は人口増大により石油を売らざるを得ず、ヨーロッパと敵対する理由はない。このため、ヨーロッパにとっては世界が平和であることが利益になる。

アメリカは市民ミリシアに見られるように政府に対する本質的な不信があるが、西欧諸国では、福祉制度に見られるように、本質的には信頼がある。このためアメリカ的社会モデルは西欧諸国を不安定にする。とりわけ、アメリカの示す市場原理主義は、社会の結束が強い直系家族社会であるドイツと日本に衝撃となる。アメリカのマスメディアは両国を後進的で閉鎖的として改革を要求するが、実際には両国経済が近年不調であるのは生産性が高すぎるからだとトッドは指摘する。1929年の世界恐慌が、当時最も生産性が高かったアメリカ経済を直撃したのと同様である。そもそも、ドイツと日本がアメリカのように巨額の貿易赤字を出すことは起こり得ない。また、ユーロはドルに対抗する国際通貨であり、ドルの基軸通貨としての地位を脅かすものである。東ヨーロッパとロシアはすでにユーロ圏に組み込まれつつある。

ロシアは冷戦に敗れ、1998年まで経済が縮小し、また少子化により人口減少が進んでいる。しかしロシアはあらゆる撤退を受け入れた結果、戦略的にアメリカに対抗する存在に戻った。すなわち、ロシアは豊富な天然資源を持ち、十分な防衛力を持ち、アメリカ市場を必要とせず、そしてもはや危険ではないのである。ロシアは無論それを理解している。ウラジーミル・プーチンは2001年9月25日にドイツ連邦議会で演説し、「ヨーロッパがその能力をロシアのそれと結合させるなら、ヨーロッパは本当に独立した世界的大国としての声望をさらに固めることになるだろう」と述べた。




ゲームの終わり
以上から、トッドはアメリカの覇権が 2050 年までに解体すると予想するが、それはアメリカが通常の大国になることを意味し、消えて無くなることを意味しない。また、ヨーロッパ、ロシア、日本のいずれも覇権を握ることはないと予想する。これをトッドは、チェスでいうステイルメイト(手詰まり)で終わると表現する。
アメリカには民主的で自由主義的な国民国家に戻り、貿易収支を均衡させることを勧告している。アメリカ国民の生活水準は 15% から 20% ほど低下するが、アメリカ経済の柔軟性により、急速に適応するだろうと信頼を込めて予想している。
一方、国際連合を有効にするために、二大経済国である日本とドイツを安全保障理事会の常任理事国にするべきであると述べている。特に唯一の被爆国である日本は根本的に平和主義であり、またアングロサクソンと大きく異なる経済観を持ち、世界にとって有益であるとする。これに対しドイツは、すでにイギリスとフランスが常任理事国であり、ドイツを加えると西欧諸国が多すぎるため、フランスと議席を共有するべきであると述べている。

歴史と共に、国や団体の名前が変わろうが、根本的な対立構造は一切変わってないことが伺えるだろう。十字軍の遠征から始まるイスラム教とキリスト教の対立、すでに2世紀以上つづくグレートゲームに置ける西欧とスラブ系の対立。これまでの歴史的経緯から考えれば、この根深い対立構造はなくならないだろう。また集団的自衛権やNATOは、アメリカ含むすべての国が、相対的に国力が低下してきている中では、非常にコストパフォーマンスに優れた防衛戦略だろう。悪く言えば、世界大戦の原因になった一蓮托生にもなるが、世界システムとしての異なる文明を安定化させる作用がある。冷戦後、存在意義が唱えられるNATO、逆にもしNATOが無かったら、世界はどうなっていただろうが?それはもう、クリミアや中東のように小さな戦争がさらに頻発したであろう。パワーバランスが崩れれば、生態系の隙間を埋める生物の如く、すぐに次の勢力がやって来て対立を起こすだろう。また中国に見られるように、一党独裁に置ける政治的対立や内部に置ける圧力を、反日反米感情を利用して外部に逃がすように、共通点を内側で見出し、内部への不満や圧力を外部の共通の敵にぶつけることで安定性を保てるだろう。




2019/02/07

昨日の市場、今日の市場 20190207



昨日の市場は、、、
1、総じてあまり動かず。

今日の市場は、、、
1、ブレグジット問題に再燃の兆候。
2、ヨーロッパから資金がどう見ても逃げてる。
3、ヨーロッパ時間ではリスクオフが顕著。
4、円高、ドル高、ヨーロッパ通貨は安い。
5、欧州、NY先物は下落。
6、今日はギャップダウンで寄り付き後の展開。
7、さて、どこまで悲観的になれるのか?
8、もし降りるなら寄り付きがお薦め。

欧州は譲歩する気がないし、
イギリス議会は要求を受け入れる気なし。
ちなみに、経済損失は大陸側の方が大きそう。
ドイツなんかは、対英で大幅な貿易黒字、
フランスも農業製品のチーズ、シャンパンなんかで、黒字。
英国側からしたら、他から買えば良いわけで。。。
大陸側の要求には、強気の影に脆弱性が垣間見れる。
ていうか、脆弱性を隠すために強気に出て、
あわよくば誤魔化そうという思惑も。

ただ、ケインズを生んだ英国と、
マルクスを捨てた大陸で、
実情の分析には、英国に分があり、
もちろんこういった内情から
英国には、一歩も引く理由なんて無いわけで。
巷では、ブレグジットになれば英国経済がヤバイ
なんて論調がまことしやかにまかり通っているが、
ヤバイのはどっちもどっち。どちらかと言えば大陸。

大衆とはいつも逆を行く。
トランプ氏の大統領選然り。
当時はトランプ氏が当選すれば株価は暴落すると言われていた。
結果はご存知の通り。



もうね、4月の初旬には、大陸側の港で混乱が発生し、
コンテナが積み上がっている様子が目に浮かぶ訳で、
農作物なんかは、腐るに任せ、大陸側では出荷待ちの行列。
海を渡った英国でも通関、検疫で行列。
異臭を放つコンテナなんて検疫を通る訳も無く、
引き取り手が現われず、腐った農作物がドーバー海峡を往来。
もちろん大陸に戻してもそこでも受け取り拒否。
船は行き場を失い、商品、運賃、料金の支払いで揉めに揉める。
で英国のスーパーでは生鮮食品から徐々に品薄、値上げ。
世界一の農業製品輸出国のアメリカが漁夫の利を得る。
車両、機械類では日本がドイツに取って代わって、、、、
ここまで見えた。。。。

以下の記事も参照
ブレグジットに思う、日本の取るべき道
景気の気は気持ちの気
ブレグジットの行方

当たるも八卦、当たらぬも八卦、
八百長占い師の明日のコラムはお休みです。

2019/02/06

昨日の市場、今日の市場 20190206



昨日の市場は、、、
1、金利は下がり、債権が買われる。
2、若干のドル高。
3、SP500は、寄り付き後は小動き。

今日の市場は、、、
1、為替、NY先物は動き無し。
2、欧州は若干の下げ。

嵐の前の静けさか?
2018年の10月まではこんな感じ。
しかしその後に起こった事は、今だ記憶に新しい。
あの時から、現状は何か変わったのか?
金利は高止まり、そして量的引き締めは継続。
FRBの利上げの有無よりも、
金利こそが実体経済を動かすなら、
遅かれ早かれ昨年末と同じことが起こりそう。
暫くは様子見ですか。。。

2019/02/05

昨日の市場、今日の市場 20190205



昨日の市場は、、、
1、総じてリスクオン。
2、債権は売られ、金利高、株高、ドル高。

今日の市場は、、、
1、欧州、先物は上昇。
2、為替は小動きながら、ドル高傾向。

先物が上がってると、嫌な予感しかしない。
いっつもAIの奴らが買いを誘ってから、
売り玉を落として、雪崩が起こる。
最近の傾向としては、いつも先物の逆。昨日も然り。
そして窓を大きく開けた時のみ、先物主導で動くと。

今のこの局面も短命に終わりそう。
直後に反転の暴落になるか、
それともボックス相場に移行するかは分からないが。
日足20移動平均線を割ったら身構えておきますか。。。
VIXや金利、為替でも眺めながら、
答え合わせをして行きますか。。。

2019/02/04

昨日の市場、今日の市場 20190204



昨日の市場は、、、
1、金利は上がる、債権は売られる。
2、為替、SP500は動かず。
3、マーケットは週末を控えた様子見。

今日の市場は、、、
1、欧州は若干弱い。
2、先物は動かず。
3、為替は若干のドル高。
4、今日も市場は様子見か?

動き無し。決算で一喜一憂する展開か?
何か材料が出て大きく動く可能性も。
でなければ、方向感無しの迷走か?
今日は時間の無駄。
気になるなら、明朝戻ってきなはれ。