人類の祖先が誕生したのが700万年前のアフリカ大地溝帯だと言われている。何を持って人類の誕生と定義するか明確な答えはないが、人類の祖先であるアウストラロピテクスよりさらに前の猿人が誕生した頃だ。丁度その頃アフリカ大陸が地溝帯に引き裂かれる事によって気候が変動し、樹上で暮らしていた祖先は乾燥化のため草原で暮らすことを余儀なくされる。猿人は、約700万年前にアフリカ大陸に出現し、約130万年前まで生息していただろうと言われている。
樹上暮らしに適応したために鈍足な祖先は、気候変動の影響で強制的に見通しの良い草原で暮らし始める事となる。捕食者から身を守るため、遠くを見渡せるよう視点を高くする必要があり、また手に原始的な武器である棍棒などを持つ必要に迫られ二足歩行を初めたと言われいる。人類の祖先と言えど我々ホモ・サピエンスとは似つかない風貌で、チンパンジーの祖先と猿人が分岐したのが700万年前と言われれば、当時の猿人の風貌は予想が付くだろう。
ダーウィン著書の『種の起源』に記されている様に、環境に適応するために生物はたえず変化している。もちろん700万年も前のDNAは残されていないが、我々のDNAにその系譜がしっかりと刻まれている。当時の草原で暮らし始めたばかりの猿人と樹上で暮らすチンパンジーの祖先にあたる種との間にはそれほどのDNAの差異は無かったであろう。
しかし時の流れは、我々ホモ・サピエンスとチンパンジーの間におおよそ1,23%のDNAの違いを与えた。1,23%の違いは小さい様に見えるが、チンパンジーと人を比べれば一目瞭然だ。しかし全く別の種に当たるチンパンジーでも、多くの生物の中では我々人類のDNAにもっとも近い近縁種に変わりは無い。森に残った個体はチンパンジーへ、草原の環境に適応した個体は人類への系譜を歩む事になる。
全ての生物は常に少しずつ進化している。大体100万年で0,1%ほどDNAに変化を与える。もっと早く進化する生物もあれば、シーラカンスやカブトガニのように生きた化石と言われ、遥か太古の時代からあまり変化していない生物も多々ある。もちろん突然変異の様に急に表現型やDNAが変わる事もあるがかなり稀だ。そもそもいち個体だけが変異しても子孫を残せる可能性が限りなくゼロに近い。
それこそキリンの首や象の鼻が世代を重ねて長くなっていった様に、環境適応能力が高い個体同士が交配を繰り返することで、その形質が次の世代へと引き継がれていくのである。ダーウィンに言わせるとこの「強いものが生き残るのではなく、また他の種より賢い生物が勝つのではなく、環境に適応出来た生物のみ生き残る」という事になる。
チンパンジーの祖先と分岐したばかりの猿人は、異なる時代に様々な方向へと散らばっていくことになるが、どの猿人も気候変動や個体数の少なさから途中で絶滅する。種の存続や繁栄には適切な環境と個体数が必要だ。そうしてアフリカに留まった猿人のみが生き残り、それが次の化石人類へと引き継がれている。
象の祖先も似たような系譜を歩みアフリカで誕生した後、いろいろな時代にいろいろな場所へと散らばっていくがどれも絶滅している。マンモス、ナウマン象、マストドンなどだ。最後に出発した現在の種に当たる象だけが生き残り、アフリカ象やアジア象として存続している。
アウストラロピテクスはアフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 - 約200万年前に生存していたとされる猿人だ。その後、原人と言われるジャワ原人が誕生したのが180万年前、北京原人は80万年前になる。80万年前の北京原人はすでに石器を用い、火も取り扱っていたのではないかと言われている。旧石器時代は、200万年ほど前からとされている。石器時代の始まりだ。
そして旧人と呼ばれるネアンデルタール人は40万年ほど前に誕生し、4万年前まで生息していたとされる。この頃になれば石器や火を取扱っていた痕跡が多く残されている。しかしジャワ原人も北京原人もネアンデルタール人も絶滅することになる。我々には1~4 %ほどネアンデルタール人のDNAが混入しているとされる。またそのDNAのお陰でインフルエンザなどのウイルスに対してある程度の抗体を有していると言われる。
そして現代人と同じホモ・サピエンスにあたる新人のクロマニョン人が誕生したのが25万年前になる。犬以外の家畜はおらず農耕も知らなかったとされている。クロマニョン人も現在の人類にDNAを残し、現在のヨーロッパ人にあたるコーカソイドの祖先とさられる。そして最後に誕生し、アフリカを出発したのが現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスだ。
ホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけておもにアフリカで現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスへと進化したのち、6万年前にアフリカを離れて長い歳月を経て世界各地へ広がり、その過程でネアンデルタール人やクロマニョン人のDNAを足跡として現生人類に残す事になる。またミトコンドリア・イブと呼ばれる現生人類の共通女系祖先がアフリカで存在していたとされるのが16万年前ほどだ。
最後に出発した現生人類はコミニケーション能力が取り分け高かったが、石器時代の狩猟と採集の生活は最終氷期が終わるの1万年前まで待たねばならない。最終氷期の終わりと共に人類は大きく個体数を増やし、また氷河期の終わりに伴う気候変動で個体数を減らしたマンモスにトドメを刺したと言われている。日本では3000年ほど前に終わる縄文時代までが新石器時代で、定型的な水田稲作や金属器の使用を特徴とする次の時代は弥生文化の登場を契機とする。
8000年ほど前に中東で農耕が始まり、メソポタミアやエジブトで文明が誕生したのが5000年前、そしてその頃から青銅が使われるようになる。ブロンズエイジの始まりだ。文明が発生するには、まず前提として農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農産物の生産がなければならない。硬くて脆い石器では、すぐに割れてしまい生産的な農耕は行えない。
そこで誕生したのが鉄より冶金(やきん)が簡単で、不純物が含まれることで逆に強度が増す青銅の誕生だ。純粋な銅は柔らかいため農具には向かないが、硬いが粘りもある青銅なら農具などの道具として実用に耐えうる。そして生産性の向上で余剰作物が作られ、文字の発明、文明の発達へと繋がっていく。この頃から文字により記録が残される有史時代と言われ、それ以前が先史時代だ。
鉄が道具として使われ始めたのが3500年ほど前の紀元前1500年ほどだとされる。もちろんある年を境にして青銅器時代と鉄器時代を明確に区切ることは出来ず、少しずつ浸透して行く事になる。海で隔てられ他の地域との交流が限定された日本には、紀元前10世紀、3000年前の弥生時代に青銅と鉄は同じ頃伝来したとされる。
鉄は製錬が難しく、また融点が高いため加工が難しいが青銅と比較して耐久性に遥かに優れている。日本には鉄器と青銅器がほぼ同時に伝来したため、耐久性や鋭利さに劣る青銅器は祭器としての利用が主となり、鉄器がもっぱら農具や武器といった実用の道具に使用されることとなった。
そしてこの鉄器時代は、産業革命を経て現在まで続いていくことになる。初めは強度に劣る銑鉄だったが、不純物を限りなく取り除き鉄鋼の大量生産に道筋を付け、鉄と石炭(化石燃料)は産業の血液と呼ばれるほど大量に使われる事となる。産業革命を経てこの鉄を基盤とした社会が飛躍し、大量生産、大量輸送、大量消費の現代の生活様式が確立したのだ。
では現在の2021年は何時代に当たるのだろうか?もちろん石器時代と青銅器時代、鉄器時代に明確な境界線はなく、少しづつ技術は伝搬、浸透していくものであるが、果たして現在も我々は鉄器時代の延長線上にあるのだろうか?現在でも石や青銅、鉄は幅広く使われているが、その時代の技術の集大成が果たして現在も鉄なのだろうか?
石器時代や青銅器時代に置いて、武器や農具の柄の部分に多くの木材が使われ、また建材など産業の基盤として多くの木材が使われたが木材が時代の名称として使われていない。道具の核心は木ではなく、その時代の技術の集大成である石や青銅、鉄だからだ。では現在の道具とは何だろう?確かに多くの鉄が産業用途として使われているが、核心にあるのはやはり半導体ではなかろうか?
電気を半分通す物質が半導体で、その性質を利用してコンピュータ信号の0と1を電気のオンオフとして表している。かつては真空管が使われ、その後トランジスタに取って代わられたが、現在はシリコン(ケイ素)を主成分とする半導体から作られる集積回路だ。半導体は電気伝導率の特性であり、そこに使われる核心的な物質はシリコンだ。かつての石や青銅、鉄がそうであったように。
その半導体の主成分であるシリコンも、カーボン(炭素)を主成分としたモノに置き換わるのではないかと言われている。シリコンやカーボンは地球上に豊富にあり安価に生産出来る物質だ。しかしカーボン原子からなるフラーレンやカーボンナノチューブは電気伝導率がシリコンと比較して遥かに高く、より高性能のICチップを作る事が可能なのだ。
しかしそこはカーボン、半導体ということは電気を通すがもちろん抵抗も存在し、抵抗は電気を熱に変えてしまう。カーボン繊維がかつては白熱電球のフィラメントとして使われていた事が良い例だろう。しかしカーボンは熱に弱く、熱を加えると空気中ではすぐに二酸化炭素になり、真空中でもすぐに崩壊してしまう。これもカーボン繊維がフィラメントとして使われなくなった理由だ。
何年後かに熱に弱いカーボンの問題を克服し、このカーボンナノチューブを主成分とした集積回路が作られ、現在のシリコンより遥かに高性能のパーフォーマンスをはっきする日が来るかもしれない。集積回路の集積率、計算能力が2年毎に2倍になるムーアの法則は現在も続けられているのだ。
しかし、半導体の主成分がシリコンから他の物質に取って代わられようと、シリコンバレーの名称はシリコンバレーのままだ。また現在を半導体時代とするのは、石器、青銅器、鉄器の流れからは当てはまらない。なぜなら半導体は電気伝導率の特性を表しているからだ。そして半導体の核心的な物質はシリコンだ。
全ての電化製品には多くのケーブルが使われ、ケーブルの中は伝導率に優れ安価な銅が主体だが、銅が産業の主役とはならない。銅の使用量はシリコンを大幅に凌駕するが、そこにはかつての青銅や鉄にあたる人類の英知や粋を集結した産業の核心ではないからだ。
また今後0と1を同時に出力することができる量子コンピューターが産業の基盤になるのではなかと言われている。その計算能力は、分散台帳方式に基づき安全性が確保されるBTCのキーを、たった1台の量子コンピューターが無効化できるほどだとされる。何万台と存在するマイニングコンピュターの計算能力がたった1台の量子コンピューターに及ばないのだ。
それでも産業の基盤、経済の土台は変わらない。計算能力がいかに向上しようとも我々の生活の基盤は、機械を使った計算があってこそ成り立っている。つまり半導体がシリコンからカーボンになろうが、量子コンピューターになろうが、計算によって成りてっている社会という本質に変わりはないのだ。またこの計算によって成り立つ社会が一朝一夕で変わる訳がない。今後100年、500年、1000年以上と続く可能性すらあり得るのだ。
もし変わるとすれば一体何をもってこの根底が覆されるのか?産業の基盤が鉄からシリコン(計算)へと変革を遂げる中、鉄の重要性は相対的に低下しているがそれでも我々の生活には不可欠だ。今後産業の基盤が計算力を土台としたシリコンから次の時代になろうとも、この機械を使った計算は経済、産業、生活に欠かすことができないものとして、また一度獲得した技術がそれ以降使われ続けたことから、相対的に重要性が低下しようともこの社会基盤は残る事となるだろう。
という訳で如何でしょう、『シリコン時代』。電気を使う如何なる製品もこの半導体が載せられ、また産業の主役であり経済の大半がこの半導体を使うことで回っている。もはやこの半導体がなければ生活すらままならないところまで来ているのだ。まあ判断するのは早くても500年後の人類か?