史実に基づけば、アメリカは第二次世界大戦では連合国側で参戦。欧州では英国やソ連と共に対独、太平洋では中国や英国、豪州、ソ連と共に対日で参戦している。しかしもしアメリカが日独伊三国同盟の枢軸国側で参戦していたら、歴史はどうなっていただろうか?
それにしても当時の英国とソ連、アメリカ、中国を同時に敵に回すとか無理ゲー。ソ連とは日ソ中立条約を結んでいたため、同時には語弊があるが。。。ベトナムもアメリカと中国を退けているため、ランチェスターの兵法の法則に従い、正面からの殴り合いを避けていれば、ベトナムのように健闘した可能性はあるが。。。やっぱ無理か、ベトナムは大陸でホーチミンルートから物資の補給を受けていたが、日本は島国だから補給がなくなれば、鉄も石油もそうそうに尽きる。「石油の一滴は、血の一滴、欲しがりません勝つまでは」、この余裕の無さ、これじゃ勝てん。しかしアメリカが枢軸国側に付けば形勢逆転。
最初はヨーロッパ戦線。1939年8月ドイツは独ソ不可侵条約で秘密裏にポーランドを分割し、またソ連との戦争を避け、西ヨーロッパに戦力を振り分ける。1940年春、西ヨーロッパに戦力の殆どを導入した電撃戦で、ベルギーとオランダを2週間足らずで降伏させたドイツ軍に、フランスが立ちはだかる。フランスは事前に国境をマジノ線で防御を固めておいたが、ドイツ軍はそれを迂回し、フランス軍の防御が手薄となっていたアルデンヌの森から戦車部隊を突入。これによってフランス軍の防衛線は崩壊、一ヶ月足らずでフランス降伏。ドイツはフランスに傀儡政権であるヴィシー政権を作る。対独で共闘したイギリスは、1940年5月ダンケルクの戦いで漁船までくり出し、辛うじてブリテン島に逃げ帰り体制を整える。
イギリスを除くヨーロッパの西側を制圧したドイツは対ソ連戦の準備を進めるため、戦力を東に送り始める。1939年9月のポーランド侵攻ですでにソ連とは対峙していたが、1941年6月22日ここに独ソ戦が勃発。持ち前の機動力を生かしたバルバロッサ作戦により、ソ連領内に深く入り込むが広大なシベリアの大地、戦線が伸び切り補給が滞る。
1942年8月スターリングラードの戦い、両軍及び民間人で200万の死傷者を出した
1942年8月スターリングラードの戦い、両軍及び民間人で200万の死傷者を出した
一方のソ連はスターリンの粛清により、優秀な軍人や指導者は概ね処刑され、残された経験や訓練の乏しい兵士で立ち向かうことに。しかしながら故郷を守るために兵士の士気は高く、また背後から同じソ連兵に銃口を向けられていたため、勇猛果敢にドイツ兵に立ち向かう。そして補給が滞り、雪がチラつき始めると形勢逆転。ソ連軍の反撃が始まる。
『スターリンは反対者の意見にではなく、その頭蓋骨に攻撃を加える』byトロツキー
『スターリンは反対者の意見にではなく、その頭蓋骨に攻撃を加える』byトロツキー
史実ではここからアメリカが対独で参戦し、1944年6月ノルマンディー上陸作戦、1945年4月エルベ川の出会いと、ドイツをソ連と米英で挟み込み、戦力を二方面に分散させて弱ったところを叩くが、今回アメリカは、アメリカ独立戦争による歴史的な恨みや、絶対に相容れない水と油である社会主義と資本主義に、今後の危機を募らせ、ユダヤ人の解放を条件にドイツ側で参戦することに。またこれによりユダヤ系ドイツ人の優秀な科学者が、資金力や工業力有するアメリカと手を組むことで、原爆や弾道ミサイルの開発が大幅に進むことに。
フォンブラウンとアインシュタイン『核弾道ミサイルの開発が捗るぜwwwww』
(どう見てもマッドサイエンティストだけど謎歴史なんで。。)
画像はアンネフランクリン。2年間に及ぶ隠れ家暮らしを日記に書き続けたが、その後強制収容所に送られ、同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。終戦2ヶ月前のことと見られている。しかし謎歴史では、ナチスはユダヤ人の保護と引き換えにアメリカと手を組むことで、アンネの悲劇は起こらず。
フォンブラウンとアインシュタイン『核弾道ミサイルの開発が捗るぜwwwww』
(どう見てもマッドサイエンティストだけど謎歴史なんで。。)
画像はアンネフランクリン。2年間に及ぶ隠れ家暮らしを日記に書き続けたが、その後強制収容所に送られ、同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。終戦2ヶ月前のことと見られている。しかし謎歴史では、ナチスはユダヤ人の保護と引き換えにアメリカと手を組むことで、アンネの悲劇は起こらず。
アインシュタイン渡米、ルーズベルト大統領宛の手紙には、ウランによる連鎖反応が近々実現され、それが強力な爆弾となりうることを指摘した上で、政府の注意の喚起と研究の支援、そして政府と物理学者とを仲介する仕組み作りを訴え、最後に広大な大地に沢山のウラン鉱石が眠るソ連領内で、眠りから呼び覚まそうするスターリンの核エネルギー開発を示唆する事実を指摘していた。
一方のイギリスは、アメリカが対英で参戦したことで、そうそうに降伏。英連邦であるカナダを割譲。これでアメリカの国土はアラスカまで延びる、北アメリカの全土に達っし、領土面積においてもソ連に肉薄することに。ちなみにカナダの国土面積はロシアに次ぐ世界2位。
平射図法で見た世界地図。やはりソ連はデカイ。凍りついた北極海から攻めるのは現実的でなく太平洋か大西洋から進軍するのが現実的となる。
1939年、ノモハン事件で対峙していたソ連と日本だが、ポーランド侵攻に備え、何としてでも日本とのイザコザに一定の解決を見出したかったソ連は、ポーランド進行の二日前に停戦で合意。後にポーランド進行を知った日本は地団駄を踏むことに。
1937年7月の盧溝橋事件以降、日本はすでに中国で戦線を繰り広げるが、広大な土地や無限に沸く人民兵により苦戦を強いられ、点と線の支配に終始することに。また蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍の共闘により、事態は刻々と泥沼化し、都市部でのゲリラ戦から消耗戦の様相に。またこのころには、アメリカから中国撤退を迫られ、石油や鉄などの輸出を制限する、貿易制裁を食らう。
真珠湾奇襲作戦で炎上する戦艦アリゾナ
史実ではこっからハルノートを突き付けられ(1941年11月)、それを最後通牒と受け取った東条内閣は対米開戦へと舵を切っていくことになり、1941年12月8日の真珠湾奇襲作戦へと繋がっていく。そのころすでにソ連では、スパイであるリヒャルト・ゾルゲから日本が対米開戦の準備をしており、関東軍のソ連への進軍は無いことをキャッチ。ソ連は独ソ戦で苦戦するヨーロッパに夜な夜なシベリア鉄道で極東軍をヨーロッパ戦線に運ぶことに。
対ソ連でドイツと共に参戦しているアメリカは、ヨーロッパ戦線においていっこうに形勢が変わらないことから、極東の赤軍がヨーロッパに運び込まれていることに薄々気づき始める。また冬のソ連領内では、ドイツ軍もアメリカ軍も極寒の地に慣れていなく、武器も兵士も食料すらも凍り付いて、部隊の運用がままならなくなる。一方のソ連軍には地の利があり、寒くなればなるほど強くなっていく兵士が。
そしてクリスマスも迫った1941年11月、極東の警備が手薄なことに気づき、アリューシャン列島側から叩くことを模索し始めるも、そこには対米開戦へと準備する日本が。また中国の権益を確保し、ヨーロッパでの独ソ戦の負担を減らしたいアメリカは、日本に対して懐柔に傾くことになる。また人民大国であり、強大な人口を誇る中国は、後々アメリカの利権を脅かすことになるのではないかという考え方が当時のアメリカに芽生え、遂に中国での権益を折半することを条件に、日本への要求を取り下げることに。
2019年米中首脳会談、謎歴史ではすでに80年前には、この対立は避けられないものとして、アメリカは対中、対ソで参戦。
中国で苦戦を強いられていた日本は、アメリカと開戦して戦線を拡大することは望まず、アメリカの要求を呑むことに。また中国の権益が欲しいアメリカと利害関係が一致し、これにて、太平洋側でも日独伊三国同盟にアメリカが加わることに。盧溝橋事件以降、国際社会に対して戦争を公にせず、支那事変として中国と戦争を行っていたが、アメリカが加わったことで、宣戦布告し公に中国と戦争することに。そして1942年12月8日アメリカは、対中、対ソで宣戦布告。同盟である日本も対ソで参戦することに。
太平洋側とヨーロッパ側で挟み撃ちにされたソ連は、強大な人口を誇る中国と組むことで、ヨーロッパ戦線と太平洋側を分断し、ドイツ、アメリカ、日本と対抗していくことに。日独伊にアメリカが加わったことで、戦況の好転が期待されたが、そこに立ちはだかったのは、ソ連の広大な国土と凍てつく大地、そして無限に沸く人民兵と赤軍兵。
アリューシャン列島から進軍したものの、海岸線の支配がやっとで、ちょっと内陸までいけば、すべて凍りつき部隊の運用もままならない日米軍。船で物資を輸送しようにも、北極側は氷に閉ざされ、日本海側は中ソの激しい抵抗にあい、思うようにいかない。また航空機による兵站の輸送を試みるが、航続距離に劣るレシプロ機全盛のこの時代では、部隊の維持が精一杯で、進撃までの体制が整なわない。それどころか、B29などは極寒の大地に一度着陸すると、動かなくなる始末。短い夏の間だけ物資を運びこみ、冬になると中ソ軍に蹂躙されることに。また本丸のモスクワやスターリングラードまでの距離があまりに遠すぎて、開戦後4年たち、太平洋側からの挟み撃ち攻撃は断念されることに。
1945年、マンハッタン計画によりトリニティ実験で初めて核爆発に成功したアメリカでは、フォンブラウン率いるミサイルの開発も進み、核兵器を弾道ミサイルに取り付けるところまで漕ぎ着ける。しかしながら、ミサイルの出力が安定せず、またそれを補うために核爆弾の規模を大きくし、さらに広範囲を爆風で焼き払う様に設計すると、さらにミサイルを大きくする必要が出て不安定となってしまい、すぐに実戦に投入するのは難しく、また核爆弾の量産化の道筋も立たず。ヨーロッパ側でも補給が伸びたところで進撃が止まり、冬になるとソ連がそれを奪還することで、中ソ対日独米の世界大戦は長期化することに。
史実では1945年以降の中国では、国民党軍と共産党軍が戦争を起こし内戦へと突き進んでいくが、対日、対米の中共合作により、謎歴史上では国共内戦は起こらない。ポーランド進行や盧溝橋、ノモハンと1939年から続く戦争に、日本やドイツは経済的にも軍事的にも限界に達し、民衆からも不満が出始める。またアメリカも損害が大きいこの戦争の妥協点を探ることに。
1945年、スターリン、毛沢東、蒋介石が黒海沿岸に位置するヤルタに集まり、和平か戦争の継続かを議論するヤルタ会談が行われる。しかしそこはスターリン、領土的や野心もさることながら、赤軍や人民兵の損失など意に介さず、そのまま戦争継続へと突き進むことになる。
1945年2月ヤルタ会談、チャーチル英首相、ルーズベルト米大統領、スターリン書記長
最終的に足元を見られたドイツ、日本、アメリカは大幅な譲歩を迫られ、1949年、実に開戦から10年後、大幅な譲歩の末、停戦へと漕ぎ着ける。日本、ドイツ、アメリカはスターリングラード宣言受諾。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」(玉音放送)。
ソ連はアラスカ、アリューシャン、サハリン、北朝鮮、東ヨーロッパを割譲。以降今日まで続く領土問題を日本と抱えることに。また東欧はそれ以降スターリンの庭と呼ばれ、ソビエト連邦を形成することに。また中国は満州、韓国を割譲。日本は海外領土を全て失い、第二次大戦以降、帝国主義は衰退する。
ここからは筆者談
第二次世界大戦が冷戦の構図になったとしても、ソ連中国連合は落とせなかった。もし落とせるなら朝鮮戦争やベトナム戦争で資本主義陣営が勝っていてもおかしくない。朝鮮戦争の時にマッカーサーが主張する様に核を使っていたとしても、ソ連中国は落とせない。そもそも朝鮮戦争で勝てそうになかったからこそ、講和を模索し強硬派のマッカーサー解任、38度線での停戦に至った。もちろん謎歴史もそれを踏襲。
マンハッタン計画で開発された核は戦時中に全弾打ちつくされ、大戦後に軍事費は大幅に削減されたため、マッカーサーが主張するような核の運用はまず無理。そして1949年にソ連は核の開発に成功。
もし今回の戦争がもう少し後の宇宙開発競争が終わったころ、1980年代になったとしても、ソ連は落ちなかっただろう。これは核の打ち合いになっても、核無しでも変わらない。人権無視で人の命など虫ほどの価値もないソ連や中国には、西側諸国はそのうち屈するしかない。
平射図法で見た世界地図。やはりソ連はデカイ。凍りついた北極海から攻めるのは現実的でなく太平洋か大西洋から進軍するのが現実的となる。
1939年、ノモハン事件で対峙していたソ連と日本だが、ポーランド侵攻に備え、何としてでも日本とのイザコザに一定の解決を見出したかったソ連は、ポーランド進行の二日前に停戦で合意。後にポーランド進行を知った日本は地団駄を踏むことに。
1937年7月の盧溝橋事件以降、日本はすでに中国で戦線を繰り広げるが、広大な土地や無限に沸く人民兵により苦戦を強いられ、点と線の支配に終始することに。また蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍の共闘により、事態は刻々と泥沼化し、都市部でのゲリラ戦から消耗戦の様相に。またこのころには、アメリカから中国撤退を迫られ、石油や鉄などの輸出を制限する、貿易制裁を食らう。
真珠湾奇襲作戦で炎上する戦艦アリゾナ
史実ではこっからハルノートを突き付けられ(1941年11月)、それを最後通牒と受け取った東条内閣は対米開戦へと舵を切っていくことになり、1941年12月8日の真珠湾奇襲作戦へと繋がっていく。そのころすでにソ連では、スパイであるリヒャルト・ゾルゲから日本が対米開戦の準備をしており、関東軍のソ連への進軍は無いことをキャッチ。ソ連は独ソ戦で苦戦するヨーロッパに夜な夜なシベリア鉄道で極東軍をヨーロッパ戦線に運ぶことに。
『ゾルゲは日本人の特性を熟知しており、日本人は他人を売る発言を簡単にはしないが、プライドが高い高学歴な人ほど自らの無知を他人に指摘される(いわゆる「バカにされる」)と、反論するために饒舌になる事を知っていた。そのため、情報を聞き出す際に「そんなことも知らないのですか?」と尋ねることで、数多くの情報を引き出していた。』
対ソ連でドイツと共に参戦しているアメリカは、ヨーロッパ戦線においていっこうに形勢が変わらないことから、極東の赤軍がヨーロッパに運び込まれていることに薄々気づき始める。また冬のソ連領内では、ドイツ軍もアメリカ軍も極寒の地に慣れていなく、武器も兵士も食料すらも凍り付いて、部隊の運用がままならなくなる。一方のソ連軍には地の利があり、寒くなればなるほど強くなっていく兵士が。
そしてクリスマスも迫った1941年11月、極東の警備が手薄なことに気づき、アリューシャン列島側から叩くことを模索し始めるも、そこには対米開戦へと準備する日本が。また中国の権益を確保し、ヨーロッパでの独ソ戦の負担を減らしたいアメリカは、日本に対して懐柔に傾くことになる。また人民大国であり、強大な人口を誇る中国は、後々アメリカの利権を脅かすことになるのではないかという考え方が当時のアメリカに芽生え、遂に中国での権益を折半することを条件に、日本への要求を取り下げることに。
2019年米中首脳会談、謎歴史ではすでに80年前には、この対立は避けられないものとして、アメリカは対中、対ソで参戦。
中国で苦戦を強いられていた日本は、アメリカと開戦して戦線を拡大することは望まず、アメリカの要求を呑むことに。また中国の権益が欲しいアメリカと利害関係が一致し、これにて、太平洋側でも日独伊三国同盟にアメリカが加わることに。盧溝橋事件以降、国際社会に対して戦争を公にせず、支那事変として中国と戦争を行っていたが、アメリカが加わったことで、宣戦布告し公に中国と戦争することに。そして1942年12月8日アメリカは、対中、対ソで宣戦布告。同盟である日本も対ソで参戦することに。
太平洋側とヨーロッパ側で挟み撃ちにされたソ連は、強大な人口を誇る中国と組むことで、ヨーロッパ戦線と太平洋側を分断し、ドイツ、アメリカ、日本と対抗していくことに。日独伊にアメリカが加わったことで、戦況の好転が期待されたが、そこに立ちはだかったのは、ソ連の広大な国土と凍てつく大地、そして無限に沸く人民兵と赤軍兵。
アリューシャン列島から進軍したものの、海岸線の支配がやっとで、ちょっと内陸までいけば、すべて凍りつき部隊の運用もままならない日米軍。船で物資を輸送しようにも、北極側は氷に閉ざされ、日本海側は中ソの激しい抵抗にあい、思うようにいかない。また航空機による兵站の輸送を試みるが、航続距離に劣るレシプロ機全盛のこの時代では、部隊の維持が精一杯で、進撃までの体制が整なわない。それどころか、B29などは極寒の大地に一度着陸すると、動かなくなる始末。短い夏の間だけ物資を運びこみ、冬になると中ソ軍に蹂躙されることに。また本丸のモスクワやスターリングラードまでの距離があまりに遠すぎて、開戦後4年たち、太平洋側からの挟み撃ち攻撃は断念されることに。
1945年、マンハッタン計画によりトリニティ実験で初めて核爆発に成功したアメリカでは、フォンブラウン率いるミサイルの開発も進み、核兵器を弾道ミサイルに取り付けるところまで漕ぎ着ける。しかしながら、ミサイルの出力が安定せず、またそれを補うために核爆弾の規模を大きくし、さらに広範囲を爆風で焼き払う様に設計すると、さらにミサイルを大きくする必要が出て不安定となってしまい、すぐに実戦に投入するのは難しく、また核爆弾の量産化の道筋も立たず。ヨーロッパ側でも補給が伸びたところで進撃が止まり、冬になるとソ連がそれを奪還することで、中ソ対日独米の世界大戦は長期化することに。
史実では1945年以降の中国では、国民党軍と共産党軍が戦争を起こし内戦へと突き進んでいくが、対日、対米の中共合作により、謎歴史上では国共内戦は起こらない。ポーランド進行や盧溝橋、ノモハンと1939年から続く戦争に、日本やドイツは経済的にも軍事的にも限界に達し、民衆からも不満が出始める。またアメリカも損害が大きいこの戦争の妥協点を探ることに。
1945年、スターリン、毛沢東、蒋介石が黒海沿岸に位置するヤルタに集まり、和平か戦争の継続かを議論するヤルタ会談が行われる。しかしそこはスターリン、領土的や野心もさることながら、赤軍や人民兵の損失など意に介さず、そのまま戦争継続へと突き進むことになる。
1945年2月ヤルタ会談、チャーチル英首相、ルーズベルト米大統領、スターリン書記長
最終的に足元を見られたドイツ、日本、アメリカは大幅な譲歩を迫られ、1949年、実に開戦から10年後、大幅な譲歩の末、停戦へと漕ぎ着ける。日本、ドイツ、アメリカはスターリングラード宣言受諾。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」(玉音放送)。
ソ連はアラスカ、アリューシャン、サハリン、北朝鮮、東ヨーロッパを割譲。以降今日まで続く領土問題を日本と抱えることに。また東欧はそれ以降スターリンの庭と呼ばれ、ソビエト連邦を形成することに。また中国は満州、韓国を割譲。日本は海外領土を全て失い、第二次大戦以降、帝国主義は衰退する。
ここからは筆者談
第二次世界大戦が冷戦の構図になったとしても、ソ連中国連合は落とせなかった。もし落とせるなら朝鮮戦争やベトナム戦争で資本主義陣営が勝っていてもおかしくない。朝鮮戦争の時にマッカーサーが主張する様に核を使っていたとしても、ソ連中国は落とせない。そもそも朝鮮戦争で勝てそうになかったからこそ、講和を模索し強硬派のマッカーサー解任、38度線での停戦に至った。もちろん謎歴史もそれを踏襲。
マンハッタン計画で開発された核は戦時中に全弾打ちつくされ、大戦後に軍事費は大幅に削減されたため、マッカーサーが主張するような核の運用はまず無理。そして1949年にソ連は核の開発に成功。
もし今回の戦争がもう少し後の宇宙開発競争が終わったころ、1980年代になったとしても、ソ連は落ちなかっただろう。これは核の打ち合いになっても、核無しでも変わらない。人権無視で人の命など虫ほどの価値もないソ連や中国には、西側諸国はそのうち屈するしかない。
NATO成立までの歴史的な経緯です
難波のあきんどの、今日も商いの日々: 今、NATOは何の為に必要なの? https://t.co/utXfI9Mkd4— 難波のあきんど (@akinainohibi) August 20, 2019
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