2019/07/15

アランチューリング、英国50ポンド紙幣の肖像画に







ドイツ軍の解読不可能と言われた暗号製作機エニグマを、その知性を持って破った天才暗号解読者、アランチューリングが没後65年を経て公の場に。生前の第二次大戦後も、暗号解読の情報は軍事機密として扱われ、彼の業績が称えられる事は無く、逆に同性愛者として当局の監視や迫害を受け、失意のまま青酸カリを塗られた白雪姫の毒りんごを食べ、人知れず散っていた生涯。今のカード社会では、この50ポンド紙幣が陽の目を見ることは少なく、また経済学者で同時代に生きたケインズ卿が選ばれな理由から察するに、英国人のチェーリングに対する、時代背景として評価することが出来なかった葛藤や、偉大なこの人物を守ることが出来なかった悔やみ、畏敬の念が感じ取れる。そもそもケインズ卿は死後に崇拝されることがないように、銅像などを一切作らせなかったようで、今も存在していないようだが。



今更感も拭えないし、連合国を勝利に導いたその貢献度もさることながら、まったくもって薄い評価にも驚かされる。いっそのこと全ての紙幣を全部チューリングにしても不足は無く、現代コンピューター社会の礎を築いたといっても良いだろう。プログラミングやコンピューターサイエンス、AIなどを勉強している人からは、神として称えられその知名度は抜群で、私のようなチューリングに魅了された人も多いだろう。またプログラミングでエニグマの機構を模倣したり、解読方法ボンブを模倣したりした人も多いのでは?もちろん現代のコンピューターなら26歯の歯車を幾つか組み合わせただけの、簡単な機構のエニグマでは、暗号文に変換される前の平文の長さにもよるが、速攻で解読される。

単純な問題として組み合わせが少なく、26の階乗程度では守りが薄い。そのため、現代のコンピューター社会では素数を組み合わせたRSA暗号が使われている。素数も桁数が大きくなれば、それを確認するための計算量が莫大になるため、鍵としての機能を持つ。つまり、鍵とは計算量であることを見抜いたのがこのチューリングとも言える。それ以前の暗号解読者は、言語学者だったり、クロスワードパズルの愛好家、トリリンガルの様な複数言語話者だったりした。

死せるチューリング、生けるプログラマーを走らす
IT土方と言われて久しいプログラマーだが、彼らが動かされるのもチューリングの業績あってのもの。もし彼が生まれて無かったら、今の様なコンピューター社会の到来は、大幅に遅れ、第二次世界大戦の結果すら違ったものになっていた可能性も。
ロシアのチェスの世界チャンピオンであり、政治家のカスパロフ氏を破ったことで知られるIBMのディープブルーに遡る事半世紀、今から70年も前にコンピューターチェスを考案し、実際に対戦している。

もちろんディープブルー1997型程度なら、人類がコンピューターに屈したとも思えず、グランドマスターのカスパロフ氏に「神降臨」と言わしめた男、ボビーフィッシャーなら勝てるのではないか?といった期待がある。そもそもIBMのディープブルー程度に人類の知性が屈するなら、今頃IBMの株価は1000を超えていただろう。それが20年前と同じ株価と言うことは、その程度のおもちゃしか作れない会社とも言えるわけだが。





そのボビーフィッシャーもアメリカから国籍を剥奪され、日本にも一時的に彷徨い、あの将棋の羽生善治名人などから嘆願書を集めながら、最後は失意のままアイスランドで死を遂げる。チャンピオンの座をソ連からアメリカに持ち帰ったにも拘らず、いまだに名誉の回復が成されぬまま、時間だけが経過していく。この人もチューリングに通ずるものがある。

チェスの場合、将棋などの他のボードゲームと比較した場合に置ける、組み合わせの総数、ゲーム木が小さく、組み合わせ爆発の問題をある程度押さえ込め易いと言われているにも関わらず、現代のスーパーコンピューターを以てしてもやり込めず、ゲームとしての対戦が行われている。もちろんゲーム木の探索が終り、全ての手がしらみつぶしに掘り起こされた場合、そこにはゲームという概念はなくなる。なぜなら始めの一手で勝敗が決まってしまうため。この組み合わせ爆発の概念こそ暗号であり鍵である。

昨今話題になる、7ペイや仮想通貨のセキュリティーの脆弱性により盗難被害が後を絶たないが、言い方を変えれば組み合わせの数が足りず、コンピューターの持つ計算量に対して、脆弱な鍵が使われていると言わざるおえない。まあIDと暗証番号が流出してしまえば、計算量以前の問題だが、それすらも組み合わせれば回避できる。それこそが2段階認証。




全ての鍵が壊れる日
もちろんいつの日か、量子コンピューターのように0と1を同時に出力し、如何なる計算でも瞬時に計算可能なコンピューターが出来るのなら、鍵という概念が壊れるのでは?と言われている。つまり組み合わせによる計算量に依存した鍵では、量子コンピューターの前では瞬時に計算されてしまうため、P=NPという多項式時間で解けるとは俄かに信じ難いことが起きてしまうのではないかと言われている。

もしチューリングが生きていたら、今のコンピューター社会をどう考えるのか?数学者ではなく、しがいないプログラマーとして、今日もキーボードを叩いていたのか?
いや、天才はいつの時代も天才。きっとP≠NP予想は、チューリングなら解決に導いていただろう。この「PはNPではない」という予想は正しくなく、計算複雑性理論(計算量理論)におけるクラスPとクラスNPが予想に反して等しいということを。あのチューリングならすべての鍵を壊してくれる気がしてならない。

「形あるもので壊れない物は無く、人が作った者で壊せない物は無い。」昭和の脱獄王、白鳥 由栄氏の持論だが、壊せない鍵など無いのかもしれない。この男にかかっては。。。


サイモン・シン著、『暗号解読』は、文化人の教養として必須。まさかこの平々凡々のこの村で、すでに読んだという人はいないだろうが。



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